コンペティション作品。メキシコ映画。
個人的にはこの作品に東京グランプリをあげたかった!とはいえ今年のグランプリ作品「アマンダ」を観ていない私が言うのもナンなのであろうが。つまり、それ程私には良い作品だった、ということが言いたかった訳で。
誕生と消滅。生まれ来る生命と、去り行く生命。この連綿と続く人類の生き死にが、正に「ヒストリー」であり、その「レッスン」は、大上段に構えて学び取るものではなくて、日常の中で、出会いと別れの中で学び取っていくものだと教えてくれる。
「歴史は人類の過去を学ぶ科学です。」
30年記念式典の着席式パーティーで、スピーチをする女教師。もう30年も教鞭をとってきたのだ。
自宅にその表彰状を飾る。長いこと連れ添った夫と共にそれを見やる。
子供たち一家が遊びに来る。兄妹(息子と娘)。それぞれの家庭に孫が1人ずついる。娘が尋ねてくる。「ママ、病院に行った?」
学校での一コマ。
エヴァ。16歳。
女教師の名はヴェロ。エヴァは彼女から椅子を引きずらないで、と言われたのに引きずって移動する。転校してきたばかりのようで、休み時間もひとりぼっちである。
ヴェロは話しかけてみる。調子はどう?…別に。イマドキの会話だ。彼女の腕にボールペンで描いた入れ墨がある。ヴェロはそれを洗い流してくるよう指示を出す。
エヴァが手を洗うシーンとシンクロして、ヴェロが手を洗うシーン。ヴェロは家では採点などの仕事を持ち帰ってやっている。一段落したら、夫とボードゲームを楽しむ。
翌日の学校。またエヴァはひとりぼっちだ。授業中に携帯電話のことで揉める。ヴェロが答えさせるためにあてるが、エヴァはどこをやっているのかわからないので教科書が読めない。携帯ばかりいじっているからよ。携帯を渡して。とヴェロは言うが、エヴァは嫌だと拒絶する。校則なんだから、と押し問答の挙句に取っ組み合いの喧嘩となる。先に手を出したのはヴェロの方だった。
ヴェロは動揺して車を走らせ家に帰る。頬の引っ掻き傷を消毒する。夫曰く、野球の死球と同じだ。軽く考えると痛い目をみる。
このことでエヴァは1週間の停学となった。すると、エヴァはヴェロの家にやって来た。謝りに来たの、と言うエヴァ。最初は帰りなさい、と言うが、結局エヴァを家にあげるヴェロ。エヴァはリュックの中からコーラのボトルを出し飲み始める。いる?あげるよ。と聞いてくるが、ヴェロは断る。糖尿病だから。甘いものは摂らないの。
そういえばなんでこんな平日の昼間にヴェロは家にいるのだろうか?学校を辞めたの?今は無職とか?エヴァは尋ねるが、ヴェロからの答えは特にない。部屋のステレオで音楽をかけ、それに乗って踊り出すエヴァ。私は何でも聴くの。と言いつつ。
エヴァを車で送ってあげた帰り道、ヴェロはエヴァが家でかけていた曲をカーステレオから流してみる。エヴァのかけた曲をBGMに、車の中から街の夜景を見る。
別の日、またエヴァがやって来た。ヴェロは聞く。「友達いないの?」エヴァは答える。「いない」…「帰って欲しい?」「それより何故ここに来たの?」「別に…好きだから」。
エヴァは彼氏に打っている携帯メールをヴェロに見せる。マヌエルというの。24歳。体育教師。だからあの時教室で携帯を渡したくなかった。前の学校でのことを話すエヴァ。最初はどうとも思っていなかったのだけど、その内…。彼との初体験のことを告白する。そして妊娠。だから、彼のせいで前の学校を辞めた。彼も学校をクビになった。
エヴァは妊娠をどうするかもう決めていた。それでヴェロに頼みに来たのだ。親戚の付き添いだと言って病院について来て欲しい。7週目までなら薬で堕ろせるから。
エヴァが帰った後、夫と2人の食卓で、エヴァがかけた曲をかけてみる。夫はノリノリである。
結局ヴェロはエヴァに付き添うことになった。親戚の者だと偽って。治療費もヴェロが支払った。何しろ彼氏は学校をクビになっているし、お金がないのだ。堕胎について指示を出される。この薬をこういう間隔をあけてきちんと飲めば問題ない。
エヴァはまたしてもヴェロにコーラを進める。ヴェロは受け取らないが、告白する。糖尿病はウソよ。ガンなの。だがエヴァは驚かずこう返す。じゃ、平気ね。もちろんそれはコーラのことである。
車でエヴァを送りがてら、ヴェロはエヴァの家に寄る。エヴァの家では彼氏と共に男たちがたむろしている。音楽をかけ、ダンスを踊り、怪しい雰囲気で盛り上がる。エヴァと彼氏とがいちゃついている脇で、彼氏の友人からモーションをかけられる。
その夜の出来事が強烈だったので、家で夫に求めるヴェロ。もうずっと別々の部屋で寝ているのだ。だが夫には相手にされず、結局一人には広いベッドで自分を慰める。
次の日の朝、ヴェロは車を飛ばしてエヴァの家に行った。エヴァに言う。最初は乳がん。でも全身に転移しているかもしれない。手術が先よ、と言うエヴァに、どうせ無駄よ、と切り返す。
エヴァに髪の毛を染めてもらうヴェロ。今日はとことん弾けるのだ。エヴァの母親の服を借り、エヴァと一緒に遊園地へ。思い切り楽しんだ後は、エヴァの家に戻りパーティー。エヴァの彼氏、彼氏の友達も一緒だ。どんちゃん騒ぎの後、ヴェロはエヴァの彼氏の友達とセックスする。
これまでにない自分を出し、これまでにない自分でいられる喜び。自分自身を解放したような気がした。とても充実した夜。
時間が残されていないのなら、人生を最大限に生きさせてくれる人を探しなさい。
自宅に戻ると、娘が孫を連れて出戻ってきていた。どうも娘は伴侶とうまくいっていないらしい。急に色褪せた現実に向き合うことになる。
現実はどうでも、エヴァとの日々は素晴らしかった。だが、エヴァはこの街を去ることになった。ヴェロがエヴァの母親と話してみると、エヴァに相当手を焼いていることがわかった。だから、母親の姉、エヴァにとっては伯母の所に預けることにしたというのだ。
エヴァと話をする。決定したことはもう仕方がないと思っているようだ。8歳の時に父が死んだエヴァ。近くの林の中の公園にヴェロを連れて行く。死んだ父はここを教えてくれた。ここは小さい頃の遊び場。父は、霊や秘宝や魔法の話を沢山してくれた。その話の中でお気に入りなのは悪魔の窓の話である。丘の上に洞窟があり、洞窟が開 ( ひら ) けると黄金を持つ霊と会う。その霊に会ったら、黄金をもらえるか、魔女に変えられるかどちらかなのだ。
エヴァに例の薬を飲んでいるかどうか尋ねた。まだ飲んでいない、とエヴァは答える。
来し方行く末。恐らく長くない自分の生命。もしかしたら新しい生命を産み出そうと決意しているのかもしれないエヴァ。ヴェロの思いは様々に巡る。家に出戻っている孫にコーラを飲みたくないか?と聞いてみる。いや、自分で買って来よう。ヴェロは1人でコーラを買いに行き、車の中で1人で飲む。そしてエヴァを誘って夜のドライブに出かける。夜の遊園地に忍び込む。両腕を上げて、解放された!というポーズを取る。

翌日エヴァに、亡くなった父親が話していた悪魔の窓に行こうと提案する。悪魔の窓があるのはコロラド・ヒルという場所だ。確か有名な墓地のそばにあると聞いている。コロラド・ヒルを探して 2 人で歩き続ける。途中で打ち捨てられた列車の中に入る。そこでまた色々な話をする。エヴァの父親はただ亡くなったのではない。エヴァが8歳の時に自殺したのだ。
道行く人に行き方を尋ねながら、コロラド・ヒルに到着した。そこそこ険しい山道を登って、メキシコの街を眼下に見下ろす場所で休む。そこは洞窟の入り口である。ああそうだ。冒頭から作中、何度か出てきた象徴的な映像…ヴェロが1人薄暗い洞窟中に入っていくそのシーンは、胎内の中を表現しているようにも見えたが、それも含めて、この悪魔の窓があるコロンビア・ヒルの洞窟の中が舞台だったのだ。

メキシコの景色を見ながら、ヴェロはエヴァに告白する。自分が女学生だった時のことを。最初のキスのことを。そして、その場でヴェロとエヴァは口づけを交わす。
暮れなずんで行くメキシコの大地。帰途に着く車の窓から、魔女の魂の炎が見えたのは私だけだろうか?非常にスピリチュアルなものを感じさせる終わり方。
Q&Aは、マルセリーノ ・イスラス・エルナンデス(監督/脚本/編集)、ベロニカ・ランガー(女優)、アンドレア・トカ(プロデューサー)、ダニエラ・レイヴァ・ベセラ・アコスタ(プロデューサー)が登壇。
実は、鑑賞していた席の近くに皆さんお座りになっていて、私は鑑賞前からそのことに気づいていた。とても嬉しかった!そしてこういう時にいつも思うのだけれど、主演女優のベロニカ・ランガーさんは、スクリーン(やインタビュー動画)で見るよりもずっと若々しく美しい!役柄のフィルターってすごいものなんだなぁ!
監督:様々な困難を克服して生きること、そして愛の映画である。老人と若者というコンビネーションで今まで作品を作ってきたが、教師と生徒で作品を作ったのは、年齢を組み合わせるということではなくて孤独な者同士を組み合わせているということだ。生きることと、自分に限界を設定して「生きない」ということの組み合わせ。
主演女優のベロニカとは2本連続で作品を撮った。
ベロニカ:本当に最高だった。女優としてプロジェクトの最初から取り掛かれることは非常に良い。
監督:主演はベロニカにあてがきした。役名も。エヴァという人物は、主役が抱えている個人的な葛藤のトーンを設定していく役割。コントラストが非常に大切な要素となっている。若さ⇔老い、妊娠⇔癌。
ベロニカ:エヴァ役のレナータと私に起こったマジックだったような気がする。最初はどうなることかと思ったが、どんどん好きになり、強い絆ができたような気がした。準備期間が2年程の中で、撮影をし始めたら、2人が役柄に身を任せることによって、スクリーンから離れたところでも友情が発生したような。それがマジックと言えばマジックである。
監督:言われてみると、女性の繊細さ、強さを描いたと思う。パワフルネス。生きることがテーマであり、力強さや決断力を描きたかった。メキシコはマチズムの国なので、特に男性優位であるから。自分自身は、母や姉妹に囲まれていたので、女性と仕事をするのは好きなのであるが。
ベロニカ:監督はとても素晴らしい人。一緒に仕事をできるのは特権的なこと。どちらかというと楽しんでいこうと思って現場に行く。映画の撮影とはフェスタになることが大切。フェスタにならないと意味がないんだ。映画に自分の情熱をも委ねていく。それが監督と同じなので心地良い。