
「コート・スティーリング」の所でも書いたのだが、品の悪い母が息子を連れて観に行ったのがこの「ランニング・マン」である。言い訳をしておくと、一緒に映画を観る、と決めたその日に公開していてかつ両方ともが未見の作品がこれしかなかったのだ。映画館の少ない土地だったので、公開作品もそれ程多くなかったというのもある。
非常識な母に似ず社会性のある彼は…これは2人の息子両方ともなのだが…私がご馳走したものに対しては、食べ物であれ衣服であれ、そしてこういった映画であれ、心の中で仮に色々思ったとしてもとりあえずお礼を言い気に入った所を述べてくれる。美味しかったとか、こういうジャケットがずっと欲しかったとか、これこれこういうシーンが面白かったとか。この「ランニング・マン」を観た後にも、とりあえず身をよじる思いで謝罪しようと思っていた母親に対して「アメリカ社会の貧富の差の深刻さを思い知らされたよ」とか結構本質的な事を言ってきたので、申し訳ないと思いつつ少しホッとしたような訳である。

こんなに鑑賞背景についてつらつらと書いてしまったが、映画の内容はどうだったか?というと、正直「息子にトンデモ映画を見せてしまった」と上映中ずっと身をよじっていたものだから、それ以外の記憶があまり無い。トンデモ映画というよりは、下品な映画。それはエログロがあるという意味ではなくて、根底にある考え方が下品なのである(あとなんか見せ方も上品ではない)。貧しい貧民街の住民が、一攫千金を狙ってサバイバルゲームに挑む。ルールは鬼ごっこなのだが全米を相手にした鬼ごっこなのだ。「カイジ」とどう違うの?と問われればごめんなさいなんだけど、何か知性が感じられない(「カイジ」に知性があったとも思わないけど)。ただ一言「下品」なのである。

その「下品」はもしかしたら、標的にされて殺されるのを逃げ惑い或いは戦うその事だけではなく、主催者側が全米ネットワークのマスコミだという所にあるような気がする。底辺層の娯楽がこのようなマスメディアに操られて成立する(そして底辺層には娯楽といえばもうこれしかない)その構造を「下品」と感じた次第である。
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