
コンペティション作品。フランス映画。
2025年6月にイタリアのポンペイでの演劇祭で披露された舞台劇を記録したドキュメンタリーである。ユダヤ教の伝統に基づいたカバラ神話に出てくる土人形ゴーレムが登場し、過去から連綿と続くユダヤ人の受難を描いた物語が語られる。
これを鑑賞すると、大昔からユダヤ人が受けてきたとされる不公平で残虐なことについて、部外者が何か口を出せるものではないと感じる。現代に至るまでずっと蓄積されてきた「怨」がこれほどまでのものなら、その意識を変えようとすることは容易ではないし、つまりはその「怨」を本当に理解できることはあり得ないのだ。一方で、あまりにも…という気持ちがよぎるのも確か。そして作品については不謹慎だがとても長く感じた。作品自体は107分なのでむしろ短い作品であると言うべきなのだろう。長い、というより疲労を感じたのだ。「怨」の塊だから、観ている方も負に乗っ取られてしまったように疲れてしまう。カーテンコールと思しき場面で、役者一人一人が自身の出自を含めた自己紹介を始めた時に、正直「えっ…?コレ、一人一人やるの?」と思ってしまい、私の中の良心にそう思ったことを殴って欲しい位なんだけど、そう思ってしまったのは事実だから仕方ないよなぁ…。
そして実は、鑑賞直後のメモ書きに「はっきり言って苦痛」と書いてあった。…私ったら…

ある女の独白。ソファーに座ってブンブンと言いながら呟く。昨夜家の上をミサイルが飛んだ。その前の晩も。
ホーネット(スズメバチ)の羽音。死をもちらすホーネットにじっと耳を傾ける。きっと今夜も。その音は平和について考えさせられる。さあ、考えよう。横たわり、私のように死の音を聞くだろう。安全な場所、武器はなくても抗える。心で戦うのだ。
女に代わって舞台が映し出される。ポンペイの遺跡のような舞台装置。野外円形劇場と見て取れる。ハープなどの楽器が演者と共に置かれている。
自由を得るための戦いとは?そのためにまず敵を知ろう。行動に移そう。
ハープの弾き手は歌う。
ゴーレムの最古の記録は3世紀。ロボット?フランケンシュタイン?元をただせばゴーレムだ。正に人間とテクノロジーの関係。エメト(死)が残る。ラビがエメトを完全に外す。清めた土から作るゴーレム。

ここからユダヤ迫害の話が続いていく。
伯爵の家から子供(娘)を誘拐したのはユダヤ人だ、と濡れ衣を着せられ裁判にかけられる。あそこでもここでもユダヤの迫害が存在する。プラハで迫害が酷くなっている。
粘土でゴーレムを作れ。ゴーレムの額に言葉を書け。イディッシュ語を使う。いつの日か蘇る。イディッシュ的には質問には質問で答える。まず虐殺。次に被害者が責められる。世界中どこでもユダヤ人が。十字軍の昔から。イディッシュ語ではユダヤ人迫害のことをポグロブと言う。
ラビが母親の目の前で3人の若者に拷問される様子が語られる。ああ息子よ。
先の裁判とこの拷問の描写が入れ替わりながら語られる。
裁判では無実を主張するユダヤ人の元に、ゴーレムがさらわれたと伯爵が訴えた彼の娘を連れて来る。伯爵が遺産目当てに画策したことだったから。
歌が流れる。世界は皆に平等に作られた。人種、性愛、メティス(ハーフ)、全てを超えて人間である。レッテルなど貼らずひとつの箱に入れたはず。私の涙よ、粘土となれ。

文学と演劇と芸術は抵抗の場なのだ。
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