
面白かったのだけれど腑に落ちない部分がある。それも含めて多少消化不良になった。このもやもやの原因のひとつは「なんか鼻につく」といった所なのかもと思う。
根底にあるのはエリートvs底辺のバトルなのだと言えようが…確かに、頭が良過ぎて周りをみんな下に見てしまう人は世の中に一握りは居る。その一方で、被差別の対象となり底辺を生きている人も居る。どちらも恐らくマイノリティ。だが、その対立の構造が、見始めた頃は興味深くはあったのだけれど、佐藤二朗がノリノリになっていくに従ってすっと醒めていった。…これは、佐藤二朗のことを元々あまり好きではないということが原因なのではなく、いやいや佐藤二朗は格段に上手かったのでむしろそのあまりの芸達者な様(さま)が気持ちを醒めさせていったのである。

ネタバレも少し入ってしまうのだが、誰が絵を描いたにせよ台本があるにせよ、あんなに凝った話を滔々と…巧みな話術も顔芸も含めて、閉鎖空間で話し続けることができる人間なんて相当の能力の持ち主だと思う。だから佐藤二朗もといスズキタゴサクという人物像を考えた時に「意外性」などを差し引いたとしてもそれができる能力を携えているとは到底思えない。逆の表現をすると、それができるのに何故彼がこれまでの人生を底辺で過ごしてきたのかの意味付けができていない。対して天才と思しき能力を持つ刑事類家(山田裕貴)にしても、ああいう一見天才には見えない…ちょっと変わり者で特定の能力に秀でている人物というのは世の中に存在する(と認識されている)キャラクターなのであるが、山田裕貴という俳優が、本当に申し訳ないけれどそんなキャラクターである風貌をしていない。「髪がもじゃもじゃ」とか「似合わない眼鏡」とか「スーツがよれよれ」とか「猫背気味」とかそういう表面的なことでは隠し切れない「陽」の個性。だから、取調室での激突が、底辺のスズキタゴサクにしても追い詰めようとする類家にししても、なんか鼻についてしまうのである。
いや…それ以外にも…というか、もっと根本的な所だ。
本作は、特に中盤から後半、いくら何でも「爆弾」使い過ぎだし人を殺し過ぎである。だから、復讐の体(てい)だとしても「誰に何を」がすごく薄まってしまうのである。
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-33863973"
hx-vals='{"url":"https:\/\/tokokonats.exblog.jp\/33863973\/","__csrf_value":"70776796363a0374415394182e5bfb44b10532efd94e3df9868f9c9c00c00a19ae5d0dc466e1825290571b853fbc9c8162b5d205f033132267222076f3bb1595"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">