もう何ヶ月も前に観た作品なのだが、7月初旬だとは思えないこの暑さについタイトルを重ねてしまい今書くことにする。
鑑賞したのはまだ肌寒い時期だったので、画面から伝わるリアルさはきっと今の季節に観た方が増すだろう。北村匠海に惹かれて鑑賞に至ったのだが、河合優実と窪田正孝が思いの外良かった。正に適役。窪田正孝の方はまあある種のキレ芸というか、こんな役やってみたかったんだろうなぁ、と思わせる嬉々とした演じっぷりでそれはそれで潔し。だが、河合優実のなんとも頭が弱そうな騙されやすそうな、それでいて全くのピュアではないという立ち居振る舞い…こちらの方がむしろリアルというか。これをやり抜いた感じもまた潔し。

生活保護という制度は私は必要な制度だと思うし、制度を利用すること自体は何の問題も無いと思う。申請の手間暇や審査の(ある程度の)厳しさについてだって、税金ちゃんと払っているのにこんなに七面倒くさい手続きがあるんだー!と普通の役所の手続きに毎度イライラすることを考えるとそれに比しても相応なのだと思う。
だから一番問題なのは不正受給であるし、それがあるからこそ審査の眼が厳しくなり本当に必要な人に行き渡らないということなのだろう。綺麗事を言えばそういうことなのだが、法の目はかいくぐることであり、法の網は破ることであると(確信犯的に)信念を持つ人々はいるのである。そして受給者が不正を行う一方で裁量者も不正を行う、本質的にはこのアコギな行為は対等なのである。本作はそこを実に巧みに描いていて、もしかしたら現実にもこういうことが起こり得るのではないかと思わせる。その為に本来救いの手を差し伸べなければならない人々に行き渡らない問題についても対照的に描いてはいるのだが、そもそもの元を質すと「悪い受給者」と「悪い裁量者」の存在が根っこにあって皺寄せがきているような構造だ。

とはいえある種の「因果応報」が散りばめられているのも興味深い(本当に困っている木南晴夏母子の一例は除く)。それでいうとラストは「因果応報」というには少しだけ意味が違うのだけれど、責務を果たしたという解釈をすればそれもアリなんだろう。いや、それは責務ではない、純粋な愛なのだ、という解釈もまたロマンがあって良し。
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