
のっけから恐縮だが「クィア」という題名はそもそもどうなのか?と思う。私のこれまでの知識では、LGBTQのQ=QUEERは、性自認に囚われない…自分の性自認が自分自身でも良くわかっていない事も含めて…人々のことであり、異性愛だろうが同性愛だろうが、どちらがどうとかいう事もなく揺らいでいる存在なのだと思っていたから、本作のウィリアム(ダニエル・クレイグ)はゲイだと思われるので、LGBTQのGなのではないだろうか?と。だが、もっと言えばそんな私の疑問こそが何かを区分したがるティピカルな決めつけ屋の証(あかし)であり、クィアは「不思議な」とか「奇妙な」とかいう意味を持つ語源だということを考えると、ウィリアムは性的にも暮らしぶりにも風変わりと言えば言えなくもないそんな存在なので、それだからこそのクィアなんだろうな、と自分で自分を納得させてみる。

そんな能書はどうでも良い。「君の名前で僕を呼んで」のルカ・グァダニーノ監督の作品なのでかなり期待して観に行った。その上ダニエル・クレイグなのだもの。
ダニエル・クレイグ扮するウィリアムは、日がなカフェで溜まって過ごし、夜はバーやクラブで過ごす「あんた何して日々の糧を稼いでいるの?」と思わず聞きたくなるような生活をメキシコシティで送っている(実際にはメキシコシティのアメリカ駐在員の設定だとのこと)。酒と薬に浸った日々であるが、目的は一つ。愛し愛されるゲイの相手を物色しているのだ。そしてそこで一夜限りの相手を見つけたり、本当の恋に巡り合ったり、果ては何もかもを放って(と私には見えた)恋の相手と南米のリゾート地にバカンスに出掛けたりする。
(あれ、南米に恋のバカンスってトニー・レオンとレスリー・チャンの「ブエノスアイレス」みたいじゃーん!ちょっと設定や心の機微も「ブエノスアイレス」みたいだし。もしかしたらインスパイア?でも「ブエノスアイレス」の方が何百倍も良い。)
そこで2人はとても奇妙な体験をし、やがて恋は終わりを迎えるのだ。


といったようなウィリアムの日々が描かれる訳だが、期待して観に行った割には別にどうという事もなかった。ある種のノスタルジーや、いわゆる酒と薔薇の日々の刹那的な快楽は感じ取れはしたが、それとて何かグサっと胸に響くものではなく、作品紹介に書かれているようにウィリアムが「愛する相手と心身共にひとつになりたいと切望する」人物に見えたかというとそうでもない。なんかいちいちペラペラなのである。いやいや、そういうキャラクターにわざと演じているのよ、という意見もあろうかと思うが、それにしても「愛する相手と心身ともにひとつになりたいと切望」しているのかは感じられなかった。切なさや思い入れがこちらには届かなかったのだ。感想としては「お好きにどうぞ」といった以上のものはなかったかな。
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