
息子の進路を最優先に購入したその一軒家は、古くはあってもリフォームで快適に過ごせる住まいとなる。リビングにしつらえてあったアンティークの大きな鏡は美しく、この家の象徴だ。だが冒頭から、何故かは判らないが不穏な空気を感じさせる。その家自体が持つ独特な怪しい空気。リフォーム工事の作業員の一部が「この部屋では作業したくない」と言う部屋があったことが、更にその空気の匂いを強める。そしてその部屋は妹の自室となる。

最初、撮影手法がその手振れ感も含めて「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」的な手持ちカメラの不安定さでリアルを表現しているのかな?と思ったのだが…その意図は若干あるかもしれないが…本当のところはそうではないのではないかと私は思った。この不安定な手振れ感や、完全なる第三者が撮影しているようなドキュメンタリー手法のようなカメラワークは、単に「恐怖を煽る」や「リアリティを増す」ことに使われたのではなくて、あの「存在」の視点なのである。どうも誰か別の人がしかも複数で撮っているような画だなぁ、と観ている最中ずっと思っていたのだが、そう考えると合点がいく。あの「存在」…しかも後にそれは一人ではないと判る…がこの家に居続け、この家で起こる出来事をずっと見ているのだ。観客は、この家で起こることを「存在」の視点で鑑賞しているのである。そしてそう気づくと更に本作のオカルト味が増す。

最後は実も蓋もない言い方をすると「自業自得」なのであるが…。自業自得って兄の友人の方はともかく兄までも?と思うかもしれないが、実際の学校生活で兄自身が(別の子の)イジメに加担していたという前振りがあり、人を呪わば穴二つというヤツなのであろう。とはいえ、ルーシー・リューの最後の悲嘆は、見ると胸を引き裂かれる立場だ。私は…私ならあの鏡の前から立ち去ることはできないだろう。永遠に。

監督はお久し振りのスティーブン・ソダバーグ。やっぱりこの人には映画に戻ってきて欲しい、と個人的には強く思う。
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