予想していたより面白かった。予想というのは…本作は昨年開催された第37回東京国際映画祭でグランプリを獲得した作品である。私は長年東京国際映画祭に観客として赴いているが、グランプリ受賞作品とは悉く相性が悪く、正直何故この作品がグランプリなの?と思ったことの方が多い。だから昨年本作がグランプリを受賞した時に、これはあまり積極的に観なくても良いかな、とさえ思ったものだ。
だが、昨年の東京国際映画祭の審査委員長はトニー・レオンであり、審査員にはジョニー・トーが名を連ねている。これならもしかしたら、ひょっとして、万に一つかもしれないけど、グランプリ受賞作であっても(私にとって)面白いかも…そんな一縷の望みを賭けて、映画館に足を運んだのである。
で、割と面白かった。若い頃のある時期集中して読んだ筒井康隆の世界がマイルドな形ではあるけれど、上手く表現されていたと思う。ところで以下はそんな一般的な映画の感想とは別の話。私が独自解釈をしたその内容についてお示ししたいので、未見の方はご注意下さい。
私は、この一連の流れは、単なる老いた元大学教授渡辺儀助(長塚京三)の妄想だとは片付けられなかった。これは全編、渡辺儀助の人生最後の走馬灯なのだと解釈したのだ。命絶える時に人が見ると言われている、走馬灯のような思い出。そこには歴史があり願望があり現実がある。これらの繋ぎ合わせが最後に「敵」の急襲を受けるに至って、そうだ、きっと渡辺儀助は母親の胎内に居た時に、防空壕で「敵」の襲来に怯えていたのではないか?と思い至る。「敵」が襲ってくるのが最後の最後になる所などを含めて、走馬灯が遡っていく状態を全編通して表しているのだ、と見た。