ジョシュ・ハートネットってこんなんだったっけ?私の記憶にあるジョシュ・ハートネットはこんな感じではなかった。記憶は自分にいいように作り変えられるものなので、もしかしたらジョシュ・ハートネットは最初からこんな感じだったのかもしれない。けれど、久しぶりに画面で観た彼は、私の記憶とは確かに違っていた。…そうきっとそれは年月の為せる技なのだろうね。瑞々しい感じがした青年は、本作での今となってはサイコパスのおっさんだった。それにしても「おっさん」という単語を書くのがこれほど苦しいとは。私の記憶のジョシュ・ハートネットこそ、その言葉に最も相応しくない人だった気がするから。
B級の香りがそこはかとなく漂うが、それがまた良いブレンド具合で悪くない。M・ナイト・シャマランの作品は、ある時を境に全く観なくなっていて、それ以来何年も経っているのだが、久々に観たら結構面白かった。色々破綻しているし、ご都合主義極まれりな所はあるものの、何も考えずにぼんやり観るにはいい感じ。惜しむらくはうっかり鑑賞前に作品紹介のサイトをチラッと見てしまったこと。これを見ていなければ、もっと「あ…もしかして…」などの脳内推理ができたので、残念と言えば残念だ。
コンサート会場やそのライブの光景などはかなり大掛かりな作り。キラキラしたスターのライブは私も娘役の女の子のように楽しんでしまった。でも、根本的な疑問というか、それを言っちゃあ、な話なのだけれどあんな大掛かりなトラップって必要だったのかね?あの警備の数やスタッフへの事前通達の手間などを考えると、そんなにまでする必要ある?FBI金持ってんなー!という感じだった。史上最悪なシリアルキラーに対してはそこまでしなくちゃならないのかもだけど。