英語原題は「Green border」。
「人間の境界」という邦題は、トリプルミーニングだと思う。一つは国境という境界は人間が作ったものであるという事。二つ目は人間そのものが国を隔てる境界に利用されたという事。三つ目は人間である事と非人間的である事の境界を指していると感じたのだ。
見るべき作品。現代社会に生きる身として、見るべき作品だと強く思う。
ただ、作品ポスターなどに書かれているキャッチコピーには違和感を覚える。「その場所で、人間は兵器になる」というものだ。これだけを見て、作品に関する解説などを何も見ていない場合には、ベラルーシとポーランドの国境で自爆テロのように、或いは交渉条件としての命のやり取りのように、難民が兵器として利用されているとイメージするかもしれない。
しかし、そういうことではない。国に騙されて、国に踊らされて国境を行き来する状態というのは当人たちの意思ではない。この背景にはこういう図式がある。公式サイトによると(「」内は公式サイトから引用)、「ベラルーシ政府がEUに混乱を引き起こす狙いで大勢の難民をポーランド国境へと移送する<人間兵器>とよばれる策略」が前提としてある。彼らシリア難民の「EUに亡命したい」という希望をベラルーシ政権として巧みに利用し、彼らをまるで人間兵器のように扱ったということなのだ。
そもそも「ポーランド共和国と東の隣国ベラルーシ共和国の現在の境界は、野原・森などの中に人為的に引かれたまっすぐな線(人為国境)と川の流れに沿って蛇行する線(自然国境)から成る。」のであるが、「ベラルーシ国境警備隊が意図的に開けた抜け道を通っての非合法な越境とポーランド国境警備隊による押し戻し(プッシュパック)」が展開され、難民たちは行くことも戻ることも許されない状況の中、非人道的な扱いを両国から…両国の国境警備隊から…受け続ける。
この状況下、難民は疲弊を極め、命を落とす者もいる。彼らは、ベラルーシ経由でEUに脱出できる有効な手があると騙されて国境越えを試みた訳だが、結局それはベラルーシ側の陰謀であり、一方難民の流入を恐れたポーランド側は、彼ら難民がテロリストであるという教育を国境警備隊に徹底し、国境警備を強化する。ベラルーシから追い出された難民をまたベラルーシに強制送還するのだ。森の中でその繰り返しが行われる。何日も、何ヶ月も、何年も。
ポーランド側にも有志のボランティアが居て、ベラルーシを越えてきた難民たちに食事や衣服のケアをする者がいるが、彼らの支援はそれ以上はできない。例えば亡命を具体的に手助けすることはできないのだ。医療行為も行えない。あまりに切羽詰まった場合には救急車を呼ぶことしかできない。寒さに震え不潔を極めた状態になっていても、雨風が凌げる場所に連れて行くこともできない。命の危険があると判っていても、どうしようもできないのだ。
これは人間がやることなのだろうか。人間とそうでないものの境界線。最後に踏み止まれる良心の欠片は存在しないのだろうか。
ラスト近くに訪れる、ボランティアの決死の行為は胸を打つ。だが一方で「キリがない」のも事実である。この現実と、人間で居続ける事の境界線をしっかりと自分自身に問わなければならない。
繰り返すが必見。
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