自分自身を嫌になる時がある。安っぽいヒューマニズムを標榜する時。安寧な生活圏の中でおためごかしを呟く時。そんな自分自身が嫌になる要素を突き付けられた気がする本作鑑賞後の自分である。
香港にパキスタンから難民申請をしてやってきた家族と、その昔に香港に泳いで渡ってきて今は市民権を得てタクシー営業権を持ち働く老境に差し掛かった男との物語。
その男チャン・バクヤッ(バクヤッは白日と書く)(アンソニー・ウォン)は、酒に溺れ自堕落な日々を過ごしており、警察官の息子とは結婚式にも直前にならなければ呼ばれない程の溝が生じていた(だが実際にはチャンが病の際、息子は肝臓の提供をしている)。
一方、パキスタン人の家族は国では弁護士の資格を持つ父親アフメドと、妊娠中の妻、ヤンチャな少年ハッサン(香港名=莫青春/モク・チンチョン)(サハル・ザマン)で構成されていた。難民申請中は香港で就労することは許されない。だから父親はそれを律儀に守り、家財道具は同郷の知人に譲り受けるなどしてかつかつの生活を送っていた。その心情を知ってか知らずか、ハッサンは学校にもろくに通わず、悪い仲間とつるんで店から盗みを働いたりしていたのである。
ある夜起こった交通事故。元々はチャンが原因で起こった事故だが、アフメドが香港市民でないことをあげつらい、チャンはその場を逃れる。アフメドが知人に借りた車は大きな傷をつけられたのに。このことをきっかけに、チャンとアフメドの諍いが始まる。そして2人は行きがかり上のカーチェイスで事故を起こし、アフメドは死んでしまう。
病院に運ばれたチャンは、同じ病院でアフメドの死を知る。家族の焦燥も見てしまう。その後、父親を失ったハッサンは、パキスタン人で構成されたギャング集団に加わることとなり、幼いながらも悪の道を突き進んでしまう。彼の行く末に同情を覚えたチャンであったが、ある時そのギャングたちのアジトに手入れがあり、逃げるハッサンを匿うことになる。そして、難民申請が通る希望の無いハッサンを、カナダに密航させようと奮起するのだ。
所詮、移民問題が現状の一番手の大事ではない日本と言う国に生まれ育った身としては、本作を真に理解したり、本作の登場人物に共感したりすることば難しいのかもしれない。それこそ安っぽいヒューマニズムや見栄からくる口当たりのいいおためごかしは言えたとしても。いや、本当は…勇気を振り絞って告白するが、ハッサンはその崇高な父親とは違い、身に沁みついた根っからのワルなのであるから、つまり、息をするように罪悪感もなく悪事を働いてしまうので、難民だからとか貧しい生活環境だから、とか、少年であったとしても庇う気持ちを持てないのである。こんなに悪事を常習化して行っていて、それに良心の呵責を微塵も覚えないということは、何かの病気なのではないかと思う位だ。それが、突き詰めて「難民問題」と言われてもね…という感じなのである。その税金は誰が払っているのか?とまで思ってしまう。いやホント、サラリーマンの税金ってさ…と、つい脱線。
だが、そう思ってしまう自分自身がとても不愉快になったりもする。物事の本質を見抜けていないのかもしれない、と。一方で、いや、本質なんてない。難民というフィルターがかかっているだけで、実はちっとも同情できない、悪事を働くことをやめてから権利を主張してくれ、と思ったりする。
こういったことを諸々考えてしまったので、大変疲れた鑑賞となってしまった。
「白日青春」とは本作ではチャンとハッサンの中国名から取っているが、出典は漢詩の「苔」(袁枚)である。
白日不到処 日のあたらないところにも
青春恰自来 生命力あふれる春は訪れる
苔花如米小 米粒のように小さな苔の花も
他学牡丹開 高貴な牡丹をまねて咲く
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-33254277"
hx-vals='{"url":"https:\/\/tokokonats.exblog.jp\/33254277\/","__csrf_value":"69849349f176bc6f3ae588aa08ab7e0208e6f23822264c3cbcf4fc211d1095e40fbbaa4428cf7e40c83a5c9441199dae7af9da0c00644471c54d93f217d60d68"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">