凄い作品を観た。
まず役者が凄い。
趣里、この人は凄い。森山未來、いつものようにいやいつも以上に凄い。子役の塚尾桜雅も凄い。
少しネタバレあります。
本作は、塚本晋也監督の作品である。作品チラシによると、“「野火」「斬、」そして- 戦争を民衆の目線で描き、現代の世に問う祈りの物語”とあるのだが、残念ながら私は前2作については未見である。だから本作のみでの話になるのだが、私が本作のみで凄いと思ったのは、上に書いた役者のことと、もう一つ作品の舞台設定だ。
近年、太平洋戦争(と、敢えて表記する)について描いた邦画は、戦地の悲惨さ、銃後を守る人々の苦悩、敗戦前後の混乱と絶望について取り上げているものがほとんどだと思うが、それはどこか、悲劇だけれど感傷的な描かれ方をしていると思う。散っていく者の無念さや残酷さを描くが、その後「生き残った者」がどうであったかはエンドロールのテロップに示されることはあっても、本題として記されることはあまりない。
だが、本作では「生き残った者」のPTSDを題材にしている。これは邦画では非常に珍しいのではないだろうか。
もちろん、「生き残った者」が辛い運命を背負いながら、それでも前を向き希望を携えて生きて行く描写の方が良いに決まっている。というかそうであって欲しい、と願う。でも実際にはどうなのか。これがアメリカのベトナム戦争やイラク戦争の話であれば、PTSDのことを取り上げた作品は少なくないのに、何故近年の邦画ではそれが無かったのだろうか。
廃墟と化した町の瓦礫の中で、居酒屋と称して春をひさぐ商売を行なっている女の所に、戦災孤児が訪れるようになり、やがてそこに住み着くようになる。それとは別に、一人の復員兵も女に惹かれて通うようになり、三人は段々とかりそめの家族のような日常を営むようになるのだが…
そしてまた、その子供と片腕が動かない謎の男との旅路が展開する。決して遠くに行っている訳でもなく同じ所をぐるぐると堂々巡りする旅路は、彼らの行き場の無い人生を表すかのように象徴的だ。

この2つの物語は、時系列こそ連続しているものの、特に関わり合っている訳ではない。ただ、根底を貫くものは「生き残った者」のPTSDだ。
そしてそれに立ち会うのが、復員兵のものでも謎の男のものでも、同じ子供(塚尾桜雅)なのである。

これらの体験を通して、子供は真正直に生きて行く道を選ぶ。そしてそこで判ること、それは生きる事は学ぶ事、だということだ。このラストは本作の中での唯一と言ってもいい救いなのだが、
瓦礫の散乱した灰色の町。それだけが事実なのだ。

(2023年邦画)