終始、胸が苦しくなる。最初から最後まで…なのだが、最後のそれはとりわけ猛烈に辛い。結局ね、どんなに頑張っても努力してしても、それ以上の見えない力でねじ伏せられてしまうのが人生なのだ。殊に親なんて、無力だ。
だが、親は無力なのに、子供の人生は子供に主導権があるはずなのに、世間はなかなかそうは思ってくれない。世間どころか、親自らが何かができる…自分の力で子供が変えられる、自分の望むように子供を操れる、と思ってしまう。この傲慢さは、逆に言うと、子供がある状態に至るのは全てが親の責任であり、ともすると育て方に全てが起因する、という主張にもつながる。
例えば本作の父ピーター(ヒュー・ジャックマン)は、再婚後に離れて暮らす17歳の息子から、一緒に暮らしたいとの申し出を受けるが、それは元妻が息子を上手く育てられていないからだ、と裁定(彼の職業は弁護士である)していた節があるのだ。ところが、父としての彼はどうだっただろうか?息子に理想を押し付けてはいなかったか?息子が自分の足で歩くことを妨げてはいなかったか?
…ああ、親というものは…いや、言い直そう、ある種の類いの親というものは、子供を愛してやまないのに、その愛がその子供に最適かというとそうではない。
そして本作の本質はそこではない。
心を病むということに対しては、親と言わずとも、どんな他人であっても、無力なのである。言い換えると、病んでいる本人の苦しみは、他人はもとより親であっても決して理解することはできない。それをまるで刃(やいば)で指し示されたようで、本作はとてもとても辛いのだ。
オーラス前のこの団欒の光景は、その後のことを知ると胸をえぐられる程辛い。
(2023年洋画)
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