アジアの未来作品。イスラエル映画。
今年の大きな「戦争」が勃発する以前でも、私は「イスラエル」の映画や「イスラエルとパレスチナ」の映画、レバノンやテルアビブが舞台の映画を積極的に鑑賞していた。イスラエル人とパレスチナ人が(厳密に言うとこういう区分は難しいと承知している)同じ陸続きに住むようになったのは第二次世界大戦終戦から数年後のことで、100年にも満たない。正確に言うと75年前である。その時の力づくの政策が今も尾を引いて数々の遺恨を残している訳だが、ことはそんなに新しい話を基盤にしているだけではなく、旧約・新約聖書の昔からの思想が今に繋がっている面もある。脈々と続く歴史の生き証人としての存在が、これら映画作品には描かれていることが多い。
本作「家探し」についてはそういうヘビーな題材ではなくて、イスラエルの「今」を生きる若い夫婦が、より住みやすい家を探して奔走するという話である。「今」のイスラエルを生きるイスラエル人がどういう状況であるか多少なりとも判る訳だが、正直、そんな呑気なことしてる場合ちゃうやろ、と思わざるを得ない。もちろん、「戦争」と彼らの日常の間には、彼らに非があるはずもなく、普通に生活している一市民というだけなのであるが、東京国際映画祭でこれを上映した時期が、正にイスラエル軍の攻撃がガザを直撃し、破壊しているその時だったため、落差と格差を感じてしまったのだ。
(ただもちろん本作を作っている時はこんな状況ではなかった訳だ。そして実際に今回の戦争が始まった為、監督はイスラエルを出国することができず、東京国際映画祭の会場に来日することは叶わなかった。今の状況は映画制作当時とは変わっているのである。)
それを抜きにしてみれば…現実に生きている人間が鑑賞する際に、抜きにすることはなかなか難しいのであるが…一組の若い夫婦の家探し道中は、そこそこ面白かったと言える。若い夫婦の互いの「母と息子」、「母と娘」の関係が家族の在り方を考えさせられる作りになっているのも興味深い。だけど、心のどこかで「そんな呑気なことしてる場合ちゃうやろ」と思ってしまうのも許してほしい。子供が好き嫌いを言って食事を残した時に「世界中には満足に食事を食べられない子が大勢いる!」と叱った自分が蘇って、これもまた何とも偽善的な話なのであるが。
テルアビブ。妊婦が家のベランダの近くで電話をしている。家の内見の約束の電話だ。外の工事の音が大きくて、相手の声がよく聞こえない時もある。1時間後?いえ、今から出かけるから1時間後は無理。2時間後に。ここはテルアビブだから。
パートナーのアダムが家に帰ってきた。タマラは言う。部屋がみつかったの。だからすぐ出発しましょう。アダムは帰ってきたばかりなので疲れている。ベッドで少しイチャイチャしたいと。だがそうしている内に寝てしまいそうになる。だから起きて!もういい、私一人で行くから。ハイファに一人で!?
マンションの解体工事の映像が映る。
家を出た2人は近所の顔なじみと挨拶。もうすぐ会えなくなる。ここは酷い街だ、早く出て行け、と言われる。
アダムはローマンという街角の浮浪者と挨拶を交わす。キオスクでコーヒーを頼むが、もうツケがきかない。アダムはローマンの缶の小銭をくすねて支払いに充てる。
アダムはハッパをやめたはずなのに、裏通りでこっそり男からハッパをもらう。これで最後だと。
ハイファに向けて車に乗った2人。タマラは、アダムが妙なことに気づく。そうだ、これはハッパをやっているに違いない。あなたがハイだと1日が台無しになる。これは大きな問題よ。出産まで吸わない約束をしたでしょう?彼女は、車の窓からハッパが入った缶を投げ捨てる。
怒りが治まらないまま、ドライブインに入る。タマラはドライブインのトイレの中で母によく似ている女とすれ違う。つい母に電話をしたくなるが、やめる。
まず、アダムの実家に寄った。アダムの母は沢山朝食を作って待っていたが、息子夫婦の到着が遅かったので待ちくたびれていた。母親にタマラへの愚痴を言いそうになるアダムだが、妊婦なのよ、いたわってあげて、と言われる。俺はかなりつらい。愛はつらいものなのよ、静かに耐えなさい。
ハイファで一軒目を内覧する。その最中に、アダムのスマホの浮気っぽいSNSを見てしまう。タマラは「クズ男」と一人吐き出す。そこでは2人の仕事のことを仲介人に根掘り葉掘り聞かれる。アダムは配達業をしていると言い、タマラは、イラストレーターです、グラフィックの仕事もやっています、と説明しても、何となく胡散臭いような目で見られていると感じる。
次に行った家では、中年夫婦が対応したが、どことなく金のことしか考えていないような、金へのこだわりが強い、感じの悪い夫婦だった。特に夫の方が顕著であり、壁に汚れがあることを指摘すると、壁の塗り直しはしない、とけんもほろろな上に終始無礼な態度である。アダムが遂にキレ、てめえらはこの世の害悪だ!家も大家も汚い!と言い捨てて、警察を呼ぶと叫ぶ夫婦を後にそこを出る。
外に出てからタマラはアダムに言う。2週間後には家は無いよ、理解してる?アダムは答える。俺はこの町が嫌いだ。じゃあどこならいいの?南テルアビブ。正気?家賃が高過ぎる!
この口論を通じてアダムは言った。君は妊娠して変わった。だが、タマラの方は急にお腹に痛みが襲ってきて青ざめる。今朝から鼓動を感じないの。そしてこの痛み。麻酔で寝るのは(寝ている間に出産になるのは)嫌。
その足で2人は病院に駆け込む。超音波を受けて、逆子だから帝王切開になるかもしれない、と告げられる。
一旦アダムの実家に戻る。タマラは実母との関係に思いを巡らせる。というのも、アダムが勝手にタマラの母に電話をしていたことが判ったからだ。
タマラは幼い頃、毎年のように引っ越しをしていた。そんな生活にならないかと心配している。でも、連絡がないことをタマラの母は悲しんでいるのではないか?とアダムの母に聞かれる。タマラは答える。あり得ません、母が悲しむなんて。私が妊娠した時も、何故急ぐの?子供や家庭なんて人生の無駄、と言い切った人だから。今母の母国のロシアにいるかって?さあ…今は恋人パリにいるはず。居場所はしょっちゅう変わる。半年前に口論してそれっきり。出産にだって全然立ち会って欲しくない。
今住んでいるテルアビブよりもハイファの方が確実に家賃が安い。何故だろう。ハイファの町の安さは煙突が多いから。
ハイファは丘の上の町。次に見に行く家は、ものすごい階段を上っていかないと辿り着けない。アダムはその階段を見上げて、嘘だろ?勘弁してくれ、と言うが、タマラはその階段を上っていく。
辿り着いた家の主は女性で、霊的な治療を生業としている人だった。タマラを見て、さらに先ほど緊急で病院に行ったことを聞くとこう話す。私は家で3人産んだ。あなたに産む覚悟ができていないから、赤ちゃんにも覚悟ができない。
そこを辞し、次の家を見に行く途中でアダムの旧友に会った。ハイファで家具の修理屋兼喫茶店を経営している。店に立ち寄りしばしのおしゃべり。彼とアダムは昔バンドを組んでいた。タマラはそんなことは全然知らなかった。アダムは旧友に尋ねる。なんで音楽を辞めた?答えは、家庭がある、というものだった。タマラがトイレに行っている間、旧友はアダムに言う。彼女すごいな、お前を更生させた。さっき勧めたハッパを断ったからだ。そして2人はタマラの前で1曲だけ歌う。
車で海沿いに出る。アダムとタマラは2人でそぞろ歩き、口づけを交わす。
海に近い絶好のロケーションの家を見るが、ボロボロで、部屋に上がる階段さえ朽ち果てている。
次に向かったのは新築の集合住宅だ。いわゆるマンモス団地といった体で、巨大な新築マンションが無機質に立ち並ぶ。そしてまたどんどん増えていくようだ。外看板には「未来を建設」と書いてある。バカげている。アダムは一目見て気に入らない。入るのさえ嫌がるので、タマラが一人で入っていった。アダムは外でこっそりハッパを吸った。実はさっきの友人からもらっていたのだ。
タマラは16階まで行く。眺めが良い。今住んでいる女性は3人の子供がいて、手狭になったから引っ越したいとレントに出したようだ。
見学後に階下に降りてみると、アダムの様子がおかしい。ハイなの?吸ったの?と、タマラに見破られる。ここでまた2人はケンカになる。タマラは先に彼のスマホで見た女とのSNSのやり取りにも言及する。ダフィと寝たの?…何もない、ただキスしただけ。触らないで、いつ?…1ヶ月前。私たちの部屋でっていうことね。…君はボアズと何回?…なるほど、復讐ね。君は恐ろしく冷たい女だ。2度と信用しない、あなたは役立たず。赤ん坊は一人で育てる。
タマラは車を降りて歩き出した。バスに乗って移動する。アダムは車に乗ってタマラを探すが見つからない。そうこうしている内に車がガス欠になる。そうだ、これはさっきの道中で、ガソリンサインがエンプティだけど大丈夫?とタマラに咎められたばかりだった。お気楽に大丈夫だと安請け合いしたけれど、この始末だ。車を降り、車に怒鳴って蹴って、そしてごめん、と謝る。
タマラは1人で辿り着いた内見先で、男の住人に煙草を1本もらう。ありがとう、白い目で見ないでくれて。彼に、何故ハイファに?と聞かれた。仕事は?タマラは午前中の会食で義母から言われた「マグネットを制作するいい仕事がある」というのを思い出して(マグネット!?私のデザインの仕事は確かにあまり稼げてはいないかもしれないけどデザイナーに向かって?と心の中で思ったものだ)、マグネットの店で働くかも、と答える。…忘れて、何もかも非現実的。特にコレが。と、膨らんだお腹を指さす。相手はまた聞く。家に住むのは?…私、この子。他には?…彼から誘われ気味だったけれど、タマラは辞して帰る。
アダムは、車の中から母親に泣きごとの電話を入れる。ガソリンと着替えを持ってきてくれ、と。待っている間に車の中に置いてあった手紙を発見する。それは、ロシア語で書かれていた。急いで近くのスーパーマーケットに駆け込み、ロシア語が判る店員を探して訳してもらう。
そこにはこう書いてあった。「イスラエルは気候はいいけど規律に欠ける、子供の教育に良くない。あなたは何故クズ男に惹かれるの?良ければお金を入れておくからパリにおいで。」そうだ、これはタマラに宛てたタマラの母からの手紙だったのだ。
アダムは反芻する。クズ男?…そうだ。(確かに俺は…)
アダムの母親がガソリンを持ってきてくれた。母親と口論になる。アダムはつい、父親の二の舞になるのは嫌だ、と言ってしまう。ハイファで地道に事業を行い、特にエポックメーキングなこともなく日々を過ごしている父親のことだ。言い過ぎたと思い、シュンとなるアダム。きっとタマラに嫌われている。母親は言う。その逆よ。ガソリンを入れていた時アダムの衣服にガソリンが付着していたため、煙草に火をつけた時に手が燃える。慌てて火を消そうとする母と息子。
タマラは思い切ってパリの実母に電話をかける。そして自分も逆子だったことを知る。母は言う。立ち合いたい?冗談でしょ?血を見たら卒倒する。やはり母はいつも通りの母であった。
なんだかんだでアダムとタマラは再合流する。アダムが車で駅前に迎えに行ったのだ。タマラは母との電話の後、自分が結局は母の呪縛から逃れていないことを知る。アダムはタマラに言う。よく聞け、お母さんとは違う。タマラは答える。似ているところもあるわ。それに母は出産に立ち合わないって。タマラ、お母さんは普通じゃないんだ。…私たちもよ。2人とも覚悟がない。
そんな話をお腹の中にいる娘の前でするなんて…。アダムはタマラのお腹にキスをする。パパがいるから。ママにぞっこんだ。2人は仲直りをする。欲しいだろう、家庭が。
朝からずっとやり取りしていたアリスの家をようやく内覧できることになった。朝から電話でアポを取っていたのだが、アリスの飼っているペットがいなくなったということで、それを探すために約束の時間が延び延びになっていたのだ。アリスの家は素敵だった。だが、殺人が起きた家だと言われてしまう。
結局この家探しの1日は、収穫が無いまま終わりそうだ。夕方、アダムはタマラを、美しいものを見せたい、と森の中へ連れて行く。するとそこには小さな丸いプールがあった。2人はゆっくり水の中に入る。アダムがタマラに体を寄せると胎動を感じる。今ので逆子が戻ったかな?2人して水の中から空を見上げる。
Q&Aは、私の観た上映回ではアダム役のレヴ・レイブ・レヴィンが登壇したが、話の最後に極めて政治的なメッセージがあり私は容認できなかったので、割愛する。
(2023年洋画)