鑑賞中、心の中で涙が溢れて困った。よくいう「涙が止まらない」というヤツだ。でもそれは単純に「感動の涙」と表現できるものではない。ある種の「感動の涙」であることは間違いないのだろうけれど、何について感動したかというのには大きく分けて2つある。
1つは、敬愛するスティーブン・ソダバーグの監督作品を久しぶりに観ることができた感動。そして…あれから、あの「マジックマイク」から10年以上経っているのだなぁ!そう思うと更にぐっとくるのであるが…スティーブン・ソダバーグとチャニング・テイタムのゴールデンコンビが再来したことについての感動。
2つ目は、チャニング・テイタムが素敵に大人の姿を見せてくれたということ。くどいようだがPart1から10年以上経っている訳である。もう実年齢は40歳を越えているのだから、彼の過去の実体験がどうであれ、ストリップダンサーを等身大で演じるのは少し無理があるのではないかと思っていた。厳密に言うと、本作で彼自身がストリップダンサーをメインで張っていた訳ではないからそんな心配は無用だったのかもしれないけれど、いい塩梅にステージをディレクションする役どころで、大人の横顔を見せてくれたことにいたく感動している。もちろん、彼自身がマクサンドラ(サルマ・ハエック)のマイアミの豪華なリビングルームで踊るあの官能的なダンスは、大人の色気が満ち満ちていて、むしろこの年齢でなければできないのでは?と思わせるに足るものだったけれど。
こんな時、私は(これまた敬愛していた)狩撫麻礼(故人)がその劇画の中で、「ストリッパーのことは無条件に応援したくなる。何故なら彼女らは体を張っているから。」というようなことを主役の男に吐かせていたことを思い出す。同様の心持ちを、私も本作のチャニング・テイタムとロンドンで舞台を務めた選りすぐりのダンサーたちに捧げたい。ダンスを見せるためだけのものではなく、増してや独りよがりで踊るのではなく、観客(女性)が望むように…心底楽しめるように…愉悦の時を過ごせるように…プロフェッショナルとして踊り尽くしたその素晴らしさ。スティーブン・ソダバーグ監督は、このラストのロンドンでの30分間のダンスシーンにこれまでの全てを賭けた、と言っている(作品パンフレットより)。女目線から言わせていただければ正に眼福、至福。
だが少し醒めた言い方をすると、本作は単純にどん底を味わった男の再びのサクセスストーリー、男女が逆のシンデレラストーリーだという見方もできる。けれど、王子ポジションのマクサンドラにしても、金銭的に満ち足りた生活のただの暇潰しというだけでなく、夫との離婚話、姑との確執、養女との不変の愛、等々、色々なものを背負って事に当たっている部分が見えてドラマになっていると感じた。マイク(チャニング・テイタム)とのやりとりも、最初は王子ポジションで接していたのかもしれないけれど、舞台の進行をやりあっていく内に、対等な関係になっていく。この2人の組み合わせってどうなの?と最初は思わなくもなかったが、とても良いケミカル・リアクションになっていた。
どんな立場にいようとも、30代には30代の、40代には40代の、そして恐らくそれ以上の年代であっても、何かに賭ける瞬間がある。それを魅せてくれた本作に、私はとても感動したのである。

(2023年洋画)
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