冒頭で聖書からの一節が引用される。日本でなら「親の因果が子に報い〜ベベン(三味線の音)」というヤツだ。だがそれをおちゃらけて書いては良くない。
こんなにもエグい作品は久々であった。こういう作品は、暴力やグロがメインだったとしても、最終的にはホッとして落ち着くものだと思っていた。多分そうは言ってもそこまではやらないだろうと思って、その通りそれなりの落とし所に帰着する、といった作品が近年多かったのだと思う。それに飼い慣らされて牙を抜かれていた。飼い慣らされていたというより、最近の映画が比較的そういう甘い傾向にあるということと、私自身がそういう(甘い)傾向の作品を選んでしまっているということなのだろう。そして恐らく数年前までの私なら、この結末は正視に耐えない。だが、もっと若い頃の私は平気の平左でむしろこのような作品を好んでいたようにも思う。
ホセ・マリア・ヤスピクは巷で「拷問士」と呼ばれていた殺し屋である。服役していたが、証人が証言を取り消したため娑婆に出られることになった。(証言を取り消した男は死期を迎えており、真実を言わなければ神から裁きを受けると思い翻意に至ったのだ。ここにも「神」が出てくる訳である。)
「拷問士」と呼ばれていただけあって、男は数々の残虐な殺しを行なっていた。故に、彼を恨んでいる人間は沢山いる。できるだけ早くこの地から出立するように、と、車や服役前に隠していた金を持って迎えに来たティム・ロスから忠告されるが、男にはやらなければならないことがあった。それは、元妻の所に置いてきた息子に会うことであった。だが、その最愛の息子に会いに行ったことによって、凄惨な悲劇が幕を開けたのである。
(この息子がまた天使のような出立ちである所が作品タイトルと合わさってグッとくる。)
このホセ・マリア・ヤスピクが、「出獄したばかりのメキシコ国境をシマとする裏社会の殺し屋」として本当にティピカルなのである!身の丈高く、神木隆之介の顔の長さの縦3倍はあるに違いない面長の強面。出所後のファッションは、いきなりテンガロンハットにメキシカンブーツ。手配した車はシボレーのピックアップだ。不謹慎だが笑ってしまうくらいに、此奴は彼の地の裏社会に生きる男。だが、にやにやして観られたのはその辺りまでだ。あとは目を覆うような残虐シーンと不条理な定めのオンパレード。正に「この世に神はいないのか?」である。
自業自得なはずの出来事が、自分ではなく愛する者に下される…これは最大のパニッシュメントである。その意味では信賞必罰の神は、いた。
「タクシー・ドライバー」のポール・シュレイダーの脚本。本作は昨年末「のむコレ」で上映されていたものだが、今年になって期間限定上映されたものを鑑賞した。