実話を基にした物語である。
ポーランド国内でボクシングのチャンピオンタイトルも獲ったことのあるタデウシュ・"テディ"ピトロシュコスキ(ピョートル・グロバツキ)は、ナチスドイツの手によって、家族とも引き裂かれてアウシュビッツの強制収容所に入れられる。生きて出ることはできないと言われているその場所で、彼が生き残るために取った行動は、ナチスの将校や看守が夜な夜な楽しむ賭けボクシングの選手としてリングに上がり、対戦相手を倒すことだった。
とっかかりは、強制労働の最中に起こったいざこざを仲裁するような体で、突っかかって来る相手のパンチをひょいひょいとかわしたことだったと思う。ナチスの一人に元ハンブルグのボクシングチャンピオンだった者がいて、これを見た彼が、タデウシュがポーランドのボクサーだったということを思い出したのだ。その日からタデウシュは、将校たちの娯楽の場として提供された賭けボクシングの駒として、リングに上がることになる。一切れのパン、残飯ではない食べ物を得るために。
そして、彼はリングの上で勝ち続ける。収容所で娯楽物としての大切な財産となった彼は、待遇も変わり、これまでの重労働から馬屋の管理という比較的楽な仕事に回された。体力と筋肉を付けさせるために、必要最低限な食事から、ある程度潤沢な食事も得られた。時には拳闘の傷を癒すために収容者たちはとても入れない医務室に出入りすることもできた。
…だが、所詮アウシュビッツの囚われ人である。拳ひとつであたかも希望を得られるかのようであったが、果たして…。タデウシュは代償としてはあまりにも悲劇的な経験をすることになる。
挿入されるエピソードのひとつに、リンゴを盗んだとして銃殺されかかるシーンがあるのだが、目をかけていた青年共々処刑場で並ばされた正にその時、隣で青年が滔々と詩を暗唱する。それを聞いた処刑人が意を変えて銃殺を鞭打ち刑に減刑する。というもので、これはタデウシュにはボクシングの才能が、青年には知の才能があり、どちらも身を助けるということを表しているのだと私には思えた。もちろん、偶然やタイミングが支配することであり、特別な能力を持っていたからといって、それが全て身の助けに繋がるとは限らない。だが、持てるものがあればそれに越したことはないということか。
ラストの焼け焦げた偶像は、アウシュビッツというその場に神はいなかったけれど、心の中に神は永遠にいるというメタファーか。胸が苦しくなる作品であった。
(2022年洋画)