児童文学者であるエーリヒ・ケストナーが唯一の大人向けに書いた小説「ファビアン あるモラリストの物語」が原作である。
デカダンス。…徹頭徹尾デカダンス。
第一次世界大戦が終わり、敗戦で迎えたドイツのその時代。密やかに、だが確固とした足取りで、第二次世界大戦の狂乱の時代を招き入れんと着々と時計の針は進んで行く。そしてこの束の間の日常は、退廃に彩られている。
私は「こういう」小説を原作とした「こういう」作品は好きである。退廃に満ち満ちてはいるけれど、その時代の若者の息吹のようなものが感じられる、こういう作品が好きなのである。
そしてまた、主人公のファビアン(トム・シリング)が、小説家崩れというか(実際には小説家を目指す設定である)、ある種の禁治産者的な設定がとても好き(私は若い頃仲の良い友人と共に、アーティスト志望や小説家志望の身近な人間を、身近であるが故に「禁治産者」と羨望と称賛の意味を込めて呼んでいたものだから、この表現はお許し願いたい)。彼が女優志望のコルネリア(ザスキア・ローゼンダール)と恋仲になる所や、学生時代からの親友のラブーデ(アルブレヒト・シューフ)…これがまた有力者のひとり息子であり、傲慢にして繊細な性格が正にさもありなんと思わせる…との関係が、若き日のほろ苦い人生を煌めきの中に描き出す。
だが…全てにおいて、デカダンス。来るべき狂乱の時代を合わせ鏡のように底なしに映し出す、退廃。
冒頭、現代のハイデルベルガー・プラッツ駅の描写から始まるが、観客の目線が駅から地上へ向かう道を辿って行くと、階段を上り切った地上は既に1930年代初頭のワイマール共和国になっている。監督曰くその意図は、この(第一次世界大戦後にしてナチスが触手を伸ばしている)時代と現代の繋がりを表したかったのだという。
階段の手摺の脇の壁には、無造作にナチスドイツのアイコン鉤十字のポスターが貼られている。この時代が特殊なのか?やがてやって来るナチスドイツが臨んだ第二次世界大戦の状況は、特別変わったものなのか?…恐らくそうではない。退廃的で厭世的な世の中の陰には、歴史が繰り返したとておかしくないモノが潜んでいる。予測できるできないは別にして、歴史とはそういうものだ、と私の中に焦燥感が生まれる。
弾けていたと表現しても良い位の、ファビアンとコルネリアとラブーデとの青春は、哀しみの中で終わりを告げる。これから彼は、ファビアンは何処へ行くのか。彼が受け入れるものは何なのか。答えはどこにも無いけれど、虚無の中にも次のページが準備されているような気もした。
蛇足。
本作は作品HPなどで、エーリヒ・ケストナーの代表作に「飛ぶ教室」を挙げている。私はここが心から嬉しかった。「二人のロッテ」や「エーミールと探偵たち」ではなく「飛ぶ教室」だという所が。有名無実となりかけたワーキングマザーの…というブログタイトルに則り、私はこの「飛ぶ教室」は、子供時代に読むベストな作品だと思うので、子供を持つ親御さんに熱烈にオススメする。特に小学生の男の子、必読だと思う。
(2022年洋画)