作品紹介より抜粋。
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「ナチスから暴行を受けた過去を持ち、妄想と現実を行き来する悪夢に囚われた女性の姿を描いたサスペンス。1950年代のアメリカ郊外。かつてナチスの軍人だった男から戦時中に暴行を受けたマヤは、街中で偶然その男を見かけ、復讐心から男を誘拐。夫のルイスの手を借りて自宅の地下室に監禁する。マヤは殺したい気持ちを抑え、男に罪の自白を求める。しかし、男は人違いだと否定し続ける。」(映画.comより)
この紹介文と事前に観た予告編で、私は完全にミスリードされてしまった。特に、「ナチスから暴行を受けた過去を持ち、妄想と現実を行き来する悪夢に囚われた女性」という部分と、「しかし、男は人違いだと否定し続ける。」という部分である。それから予告編で男の指笛で記憶を呼び覚まされる、というような案内があり、指笛ってそんなに人によって違うものなのだろうか?一般的でないから?でもプロ野球沖縄キャンプでの観客席からの指笛はかなり一般的だよね?(…あ、すみません…時節柄)などと感じたのもある。つまり、私はマヤ(ノオミ・ラパス)は過去の被害にとらわれ過ぎて正常な判断ができなくなった女性であり、もしかしたら捕まえた男は本当にスイス人で、人違いであるという可能性を否定できずに鑑賞していたのだ。
だが…うん、だからこれは私が常々事前情報を仕入れたくないと思う理由のひとつであり…何なら劇場予告編もできればあまり見たくないのであるが…、これでミスリードされてしまったことが作品の面白さを半減させたとかそういうのではなくて、むしろ、観終わった後に「あっ」と気づくその落差の大きさはかなり面白いという部類に入るのだけれど、偏った情報にとらわれ過ぎるのは誠にもってよろしくないなぁ。多分、以下に書く「あっ」と気づくことについては、自分の頭の中での事前情報が無ければだいぶ早い段階で気づいていて、その視点を持ち鑑賞することができたと思うから。
非道な仕打ちをした当時のナチスの残虐行為だけではなく、それに翻弄され、過去の自分を隠し続けて生きなければならなかったマヤの人生の感情を、深堀りしながら鑑賞することができたのに。
そうなのだ。その男が人違いかどうかは問題ではなかったのだ。彼女があの時、妹を捨てて逃げたのかどうなのか、それさえ判れば。究極捕らえた男を殺す必要もなかった。恨みつらみは勿論あるにしても、ただ一点だけ、自分の贖罪が果たせず、夜毎にうなされる日々をやり過ごせる解答が得られるのであれば。
捕らえた男が本当に過去のその男だったのか?というミステリーの部分に走り過ぎてしまい、そちらの緊迫感が作品の主となってしまっているけれど、本質はそうではないのだ。いやそんなこと最初から判っていますよ、と仰られる方は幸いである。作品自体に問題は全く無いのだけれど、私はどうも本作を、ミステリーと心理的な悲劇とのどっちつかずで鑑賞してしまったため、ちょっと咀嚼不良な感じになってしまった。それが少し残念。

(2022年洋画)