ガラ・セレクション作品。今年より、これまでの「特別招待作品」の呼称が変わって、「ガラ・セレクション」となった。本作はブリランテ・メンドゥーサ作品の中ではかなりドキュメンタリーに寄っている作品だと思う。いや、そもそもが彼の監督作品は、フィクションではあってもリアルが基盤となっているので、この捉え方は相応しくないかもしれない。ただ、温かい方のブリランテ・メンドゥーサ作品。…いや、この表現も誤解を生むな…。パッションが押しつけがましくなく伝わってくる、エネルギッシュな作品。…この表現もちょっと違う。基本的にブリランテ・メンドゥーサ作品はエネルギッシュな訳だし。違うけど近いのでこのまま進めたい。負のエネルギーではなく、上昇気分にさせてくれるエネルギーということで。そんな上昇気流に満ちたエネルギーが、誠実に伝わってくる作品だ。
スローで繰り出すボクシンググローブのアップから始まる。
ここは沖縄にある平仲ボクシングスクール。練習リングには、「沖縄から世界へ」と書いてある。
スターがやってきたようだ。このジムから出たチャンピオン。ジムの人間が彼を歓待しながら出迎える様を見ながら、練習を続けているボクサーが一人。ツヤマ・ナオ。彼は義足のボクサーであった。
ナオは一通の手紙を受け取る。日本ボクシング協会からのものだ。その手紙には、身体条件不適合によりライセンス申請を却下する、と書かれていた。
直接日本ボクシング協会に出向いて担当者に直訴するものの、決定は覆らない。
ナオは幼い頃から義足であった。事故に遭ったのだ。母と海辺で遊ぶ回想シーンでも、もう既にナオは義足である。
彼は決意する。フィリピンでプロボクサーのライセンスを取ることを。
海を渡った先には、ジムのオーナーのベンと、マニラから来た練習生のボンジョヴィが出迎えに来ていた(このボンジョヴィ役は「復讐」の主人公イサックを演じたヴィンス・リロンである)。ボンジョヴィの運転するバイクにサイドカーが付いたバイクタクシー様の乗り物に乗って、3人はジムへと向かう。途中のマグロ市場で、男同士の喧嘩に遭遇する。1人はナオのトレーナーとなるルディであった。
ジムに着くと、そこには多数の練習生がいた。日本から来たタクという練習生もいた。ベンから妻のミナを紹介される。ミナはナオの母親と同じ名前だ。それを言うと、きっとお母さんは美人ね、と言われる。娘のエリッサは強打を持つ若い女性。練習生のスパークリングの相手を務める程である。ジムの元締めと言われている。
このジェンサン・パンチ・ジムの中には沢山のトロフィーが飾られていた。ナオはルディに言う。コーチ、何としてでもプロのライセンスを取りたい。ルディは答える。練習あるのみだ、いいな。
この町の名前はジェネラルサントスだ。通称ジェントス。今この町ではマグロの祭典が開かれていた。ミス・マグロなどが山車に乗って町を練り歩いている。そしてそこにボクシングの統括団体の役員が来ていた。ルディに連れられて、ナオは役員の所に挨拶に行く。役員は言う。ライセンスを取るには、健康診断書の提出、出生証明書の提出、そして試合に三連勝すること、これが条件だ。
昨日ルディと練習をしていた時に、ルディの靴がぼろぼろだったことに気付いたナオは、ルディに新しい靴をプレゼントする。良好な師弟関係が築かれているようだ。
そしてナオは初戦に勝つ。
初戦に勝った後、ナオはルディの自宅に行く。妻のマリルーを紹介される。家に飾ってあったチャンピオンベルトを見て、ナオは感激する。ルディ曰く、息子はボクシングは嫌いらしく、総合格闘技をやっているとのことだ。今は家にいず、母親…別れた方の元妻と暮らしているのだそうだ。
2回目の試合。試合前にボンジョヴィから幸運のお守りとして、ネックレスをもらう。ボンジョヴィとはジムの仲間の中でも親しい間柄であり、時々は互いの出自について語り合ったりした。ボンジョヴィはマニラからこのバイクで渡って来たというのだ。…マニラから?遠いのでは?海もあるのにどうやって?ボンジョヴィは、フェリーがあるさ、と笑う。
激しい試合だったが、ナオは勝利を収めた。試合後、相手コーナーにいる対戦相手に声掛けをするナオ。初戦の時もそうであったが、ナオは必ず対戦相手に声掛けをする。リスペクトしているという描写なのであろう。
同じジムのタクも試合に勝った。今日試合に出場した事務の練習生は全員が勝った。
ジムに戻って、仲間とワイワイやる。夜は束の間の休息の時間だ。それを楽しむ。
ある時はジムのみんなで海に出かける。ナオは、沖縄にも素敵なビーチがある、と、海を見ながらジムの娘のエリッサに話す。そしてその後、彼女の部屋を訪ねる。
数日後。
ボンジョヴィが、試合中にダウンして、頭を打って昏倒し、救急車で運ばれる。知らせを受けて急いで駆けつけるナオ。病院の廊下にはベンがいた。ボンジョヴィは?と聞くと、ベンは答える。…霊安室だ。ボンジョヴィは、意識を戻すことなく死んでしまったのだ。モルグでボンジョヴィの遺体と対面する。
葬儀の時、マニラから駆けつけたボンジョヴィの母親は、棺の前で泣き崩れる。ミナが彼女に封筒を手渡しする。息子さんが貯めていたお金よ。このお金であなたをジェンサンに呼ぶと言っていた。母親は、封筒からお金がこぼれる程に手を震わせて泣き続ける。
3戦目の前、ルディはナオを呼び出した。勝利をリグ(操作)してやろう。こっそりと。相手に金を渡して必ず勝つようにする。この提案はナオを驚かせた。そしてルディに叫んだ。金などやるな!俺の勝利を信じているんだう?!…ルディは勢いに気おされる。…もちろんだ、わかったよ。
複雑な思いを抱えて、ナオはプールの中でシャドウボクシングをする。
だが、3戦目の試合会場で、ルディが対戦相手のトレーナーに金を渡すところをタクが見てしまう。3ラウンドだ、3ラウンドで倒れてくれ、と頼んでいたのだ。タクはその場面をスマホで動画に撮り、試合準備をしているナオに見せる。案の定、相手は3ラウンドで負ける。
試合には勝ったものの、ナオは怒ってルディに詰め寄る。誰かに金を?八百長したのか?ルディはyesと答える。勝ってライセンスを取らせたかったんだ。ナオは激怒し、ルディを殴る。殴られながらもルディは言う。傷つけたくなかった。お前だって勝利を望んでただろう?
ナオは幼い時のことを回想する。兄が米軍に入隊するために、家を出て行ったのだ。それを飛行場までナオて母とで見送りに行った。
ルディと喧嘩別れしたので、それ以来、ナオは1人で黙々とシャドウボクシングを続ける。ベンがナオのところにやって来る。プロのライセンスが取れたのだ。ライセンス認証のIDカードを渡してくれた。ナオは感激して、ジムの仲間みんなに言う。ありがとう、兄弟たち、ありがとう。
そしてルディの自宅に行く。もう1試合戦う、八百長ナシで、実力でね、と、報告しに行く。そして再びルディとタッグを組んで、練習についてもらう。
今度こそ本気の試合。しかし、相手は強い。ラフなプレイをする相手に、5ラウンドで義足を踏まれる。6ラウンドでナオはダウン。義足を踏まれたために、太もものあたりにまで影響が出ているのだ。5ラウンド終了後のブレイクの時に、ルディから、まだやれるか?と確認され、その太ももの部分にテーピングをしてもらっていた。
ダウンした時にナオの脳裏を駆け巡ったのは、仲間の顔と故郷の母の顔であった。
そしてその後、ナオは勝利する。
ルディは勝ったナオに、リングの上ですがって泣く。すまなかった、と。2人は抱き合う。ナオは、いいんだ、とルディに伝える。そしてリングの上でジムのみんなと記念写真を撮る。
それからすぐ、ジムのメンバーと日本に試合に行くことになった。みんな日本で見るものが物珍しく、わいわいしている。福岡で新幹線を見て、フィリピンでは新幹線のことを弾丸列車と呼んでいる、と話している。だって弾丸に似ているだろう?
ナオは、日本のボクシング協会にルディと共に足を運ぶが、フィリピンでプロのライセンスが取れても日本ではプロとは認められない、と言われる。危険だというのだ。ツヤマさんの安全が一番大事なのだ、と。ルディは猛烈に食い下がる。この子は立派なボクサーだ!立派に戦える!…だが、日本のボクシング協会の判断は覆らない。
日本での試合にはナオは出場できなくなった。仲間は日本のリングで試合をする。ナオはジェンサン・パンチ・ジムの旗を振って応援する。そして、太平洋統一チャンピオンになった仲間のTVニュースを見る。だが、ナオはチャンピオンにはなれないのだ。幼い頃、何かの大会で表彰台でもらったことのあるチャンピオンメダル以外は得ることはできないのだ。
エンドロールの前の字幕に、実話から着想を得た物語、と記されている。
上映終了後に、出演者、プロデューサー、この映画のモデルとなったツヤマ氏本人の舞台挨拶とQ&Aがあった。
ナオの母親役の南果歩は、2018年の東京国際映画祭で、ブリランテ・メンドゥーサ監督と審査員同士として出会った。ナオ役の尚玄も東京国際映画祭でブリランテ・メンドゥーサ監督と出会った。
Q:どこでどんなトレーニングを積んだのか?
A:(尚玄)ボクシング自体は1年位ひたすらボクシングをやっていた。去年の3月に1度(コロナで)撮影が止まって、今年の6月に再開したのだが、体というのはトレーニングをすれば誰でもできるが、メンタルの面で集中を切らさないようにするのが大変だった。ボクサーに対するリスペクトがあるので、絶対にその部分はやりたいと思っていた。義足をつけている女性に、義足の動きなどを教えてもらった。結構ガチンコでやった。映画のシーンで、自分のフックが当たって相手が鼻血を出したのは本当のことである。メンドゥーサ監督はフィクションを許さない。
Q:尚玄とツヤマ氏のそれぞれの印象について
A:(ツヤマ氏)尚玄とは、映画の前から知り合いだったが、普段は優しいお兄ちゃんで可愛いところもある人なのだが、撮影ではストイックに役に向き合ってくれていた。その辺は信じていたので。
(尚玄)2014年位に、最初にこれを映画化するとの話が出た。ナオの人生の話を聞いた時、海外に渡って活動していた自分の人生と重ね合わせたところがある。この映画は自分の人生そのものだ。
Q:ナオさんは、ボクシングに対する情熱はどのようにして生まれたのか?尚玄はメンドゥーサ監督からどのようにアドバイスを受けたのか?
A:(ツヤマ氏)人生を熱く生きたい、それがボクシングだというだけ。自分がどう生きたいかということだけが情熱である。そうやって熱く生きることが悪くないと少しでも感じていただけたら、と思う。
(尚玄)メンドゥーサ監督と最初にやったのは、お互いのことを話して共有して、信頼関係を築くことだった。台本がないことで有名な監督だけれど、信じてやり切るだけで、この経験は素晴らしかった。
Q:メンドゥーサ監督は台本が無いことで有名だが?
A:(南果歩)セリフは当日そのシーンを撮る直前に、ノートの切れ端にちょこっと書いてあるものを渡されるだけ。カメラはずっと回っている。衣装を着てその場にいればいい、という感じだ。ボクシングシーンですらそうなのだから…恐ろしい現場だが、映画って本来こういう取り組みなんだ、その役を生きることが全てなんだ、と思わせられた。メンドゥーサ監督は素晴らしい監督である。
(2021年アジア映画)