「いい歳をしてこういう類の作品を観に行くなんて…」という誹りを免れない程には年齢を重ねてきた。だが、「いい歳をして…」という自分の内なる声を捻じ伏せて鑑賞に赴いた。何に対して闘っているのかさえも最早判らないのだけれど。
そして捻じ伏せた自分がカウンターパンチで捻じ伏せられた。…私、この作品全然面白くなかったのね。「全然」は言い過ぎだと思うけれど、まあちょっと言葉は悪いけど金返せというか。それもまあ大概な感想なのだけれど、巷の評判が悪くない所を見ると、恐らく「いい歳をして」観に行った私が悪いだけなのだ。
で、「いい歳をして」以外の原因をつらつら考えてみるに…どうやら静と動の対比が際立たず、平板になっている所が一つの要因なのだと思う。それは演出の手法がどうのという話ではない。むしろ静を貫く見せ方は好きな類だ。そこではなくて、キダ(岩田剛典)とマコト(新田真剣佑)とヨッチ(山田杏奈)の3人は、幼い頃から両親がいなくて人一倍人恋しい幼少期から思春期を送ってきたはずなのに、その寂しさ辛さがヨッチが転校する前の小学校でいじめを受けていた以外の描写で判る部分がなく…いや、センセーションにそれらを描けと言っている訳ではなくて、根源的な寂しさのダークな部分が全く表されていないので、小・中・高と単純に3人で仲良くつるんで来ました、としか見えないのである。だからマコトの「エンドロール」に至る行為も、キダが恋敵ではあったけれどマコトの行為の後押しを苦渋の決断でした事も、全く響いて来ないのだ。男2人対女1の単純恋愛構造。そうとしか見えない所が感動を呼ばなかった。
そしてその割には、やっつけな説明…議員が手を回して修理工場や彼らが過ごした小・中学校を統廃合させた事などが、台詞で説明される辺りのお手盛り感が好きになれない。急いで説明しました感がアリアリである。大切な人を奪われただけでなく、煌めいていた思い出さえも奪われた訳だから、観ている方はもっと議員に憎しみを持ちたいじゃない?何ならリサ(中村アン)よりはその議員の方を殺したって良いくらいなのに。
本作は、映画の続編とも言える(っていうか恐らくこっちがオハナシ的には本筋なのだと思う)キダの交渉屋(手配屋?交渉しているようには残念ながらあまり見えない)としての活動が配信ドラマで観られます、という体裁なのだけれど、うーん、これもなんかねぇ…。タイトルが「名も無き世界のエンドロール」なので生真面目にエンドロールまで観ていたのだが(嘘。いつもタイトルに関わらずエンドロールが終わるまで席を立ちません)、ここで配信の宣伝をされるのは、マジで嫌。映画を観たから配信も観たいわ!とならなかったのが最大の要因かも、だけれど、せめて映画の余韻は残していただけるようお願いしたい。
とはいえ、今後もこういう流れ…映画→配信ドラマなどというスタイルは増えてくるのだろうから、自身がその流れに乗り切れていないのが悪いのだろう。あ、きっとここだね、「いい歳をして」が原因だった部分は。やっぱり「いい歳をして」観に行ってはいけない作品だったのかもしれない。

(2021年邦画)
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