もしかしたらこの作品を最も理解できる人の内の一人は私かもしれない。
私はバブルを知っているし、リーマンショックの日々も経験した。友人は入ったばかりの証券会社が倒産し、先輩は勤務先の銀行が破綻して別の土地で暮らすこととなった。車道に飛び出して両手を広げなければタクシーがつかまらなかった時代を知っているし、得意先の接待がその手の店であった時代も知っている。そしてそんな時代が終わって散り散りになった人々のことも知っているし、それらを経て尚違った形で活躍している人も知っている。
だからと言って本作で彼女達がしたことは悪いことであり、犯罪である訳だから、必要以上に庇うつもりはない。ただ、知っている、経験したことがあるという事実は紛れもなく本作を理解することには役立つ。
そしてもう一つ重要な要素として、私は本作の中でのラモーナ(ジェニファー・ロペス)とデスティニー(コンスタンス・ウー)の「母親というものはクレイジー」だということを知っている。
ここについてもう一つ言っておきたいのだけれど、必要以上に「母親というものは…」などど打つ(ぶつ)つもりはない。むしろ母親がー、母性愛がー、などどいうことを強調されるのは嫌悪を感じる方である。だから、「母親というものはクレイジー」だと言うことを知っているからこそ、もっと地道な手はあったのではないか、とも思う。いやでもそれは綺麗事だな。誇れる親でありたいのは常に持つ気持ちだけれど、そうも言ってられないから。誇れる自分を目指すだけではご飯は食べていけないと知った時に、必ずや正しい道を辿れるか?というと、そこまでお綺麗な事を言える立場ではない。これまで「金」の為に望まない仕事をすることが無かったと胸を張れるかというと、正直判らない。
いや、そんな大きな話ではないのかもしれない。所詮は昏睡強盗の話なのである。普通と違うのは(昏睡強盗の「普通」っていうのが何かは突っ込まないで欲しいのだけれど)、昏睡強盗や美人局は男が裏で糸を引いていることが多いが、これを女だけの「ファミリー」で計画・実行したことである。
ライターのエリザベス(ジュリア・スタイルズ)がデスティニーをインタビューした時に「正直被害者の男性は自業自得だという気もするけれど」と言っていたが、正にそんな感じなのだ。思えば、いわゆるストリッパーなどの体を張った生き様は、尊敬に値しつい応援をしたくなる、と亡き狩撫麻礼も言っていた。どちらかというとそんな感じで、騙される方が自業自得なのだ、ということも相まって、彼女たちのやったことには多少の痛快さは感じられる。いや、多少ではないかも…。
そんな風に、しみじみとしながら鑑賞してしまった。意外なことに。もっとはっちゃけたお祭り気分で観られるかと思っていたのだけれど。お祭り気分な部分は、やはりジェニファー・ロペスの美しいボディと圧巻のポールダンスだな。これを観られただけでも儲かった気になる。いや、兎にも角にも一芸に秀でているということは凄いことなのだ。もしかしたら彼女たちのプラン+ドゥーも、ある種の一芸なのかもしれない。

(2020年洋画)
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-30722715"
hx-vals='{"url":"https:\/\/tokokonats.exblog.jp\/30722715\/","__csrf_value":"3580aa8811e54c7db5b37eb8d54e06d8a24b231be21f132325815b77ce1ff16330e355bc038432f13df15d3a4a46c13ada04817c40c4aef1baeaa16565cc0bd4"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">