アジアの未来部門。香港映画。
私はこの作品とても好きで。究極、誰も幸せにならない話なのに、最後に心が温まる気持ちになるのは何故だろう。
あとね、アーロン・クォックも素晴らしかった。来日してくれてQ&Aをしてくれたからじゃないよ。過去の栄華が判らない程落ちぶれている様、それでも他人の自助に手を貸す様が、味わい深くて素晴らしい。ギラギラした雰囲気が無い方のアーロン・クォック。

香港。アパート住まいの少年は、兄嫁と喧嘩して家を飛び出す。行く当ても無いので、24時間営業のハンバーガー店に辿り着く。そこでは人は皆テーブルに突っ伏して寝ている。夜中のことである。
夜明けになった。一人店の外に出てタバコを吸う男。冴えない出で立ちだけれど、隠し切れない色気がある。背景には高層マンションの景色が広がる。
男の仕事は床の清掃。だが、おいおい判ってくるが、基本的には何でもやるようだ。

とあるカラオケスナックで、何がきっかけか判らないが喧嘩が始まる。先ほどの男はそこにいたが、逃げ出して、地下道の通路を走る。そこでは先の家出少年が、周りの浮浪者と同様段ボールにくるまっていた。男はその少年の近くの段ボールに逃げ込む。男を追いかけて来た者たちはもう過ぎ去ってしまった。それを確認して、少年は男に合図してやる。男はお礼を言いながら段ボールから出てきたが、少年に忠告する。ここで寝るのは危険だからやめた方がいい。ネズミが出る。この前もここで浮浪者がネズミに齧られて命を落とした。
だが、さりとて少年には行く場所がない。男の後をついて行く。男は、「Food Sharing Point」と書かれたボックスの中からリンゴを取り出して齧りながら歩く。少年もそれの真似をする。「Food Sharing Point」は、フードバンクであり、本当に困った人たちがそこで食べ物を得ている。
男の名前はポック。ハンバーガー店だけでなく、色々な場所に出入りをして、色んな人にお節介を焼いている。小銭稼ぎのアイディアを与えて、そこから少額のバックマージンを受け取っているようだ。小銭稼ぎのよろず相談屋みたいな感じ。後をつけている少年についても、多少の面倒を見ると決めたようだ。ただし、少年にこう伝える。頭を使わないと家出1週間で餓死だ。
そして屋外で生き残る術を伝授し始める。公衆トイレのロッカーの使い方、古靴を広い、洗って売るその方法と実践。その他その他、「浮浪者」と呼ばれることもある、定住場所を持たない香港の市井の民がどのように生きているかをつぶさに教えてくれる。そしてそんな面倒見のいいポクだからこそ、様々な人たちが周囲に集まってきていた。噂では、ポックは昔はクルーザーを持っていたらしい。つまりは相当な金持ちだったようだが…だが、ここでは互いの私生活を深く詮索することはない。判ってしまったことについてはよく知っているということになるが、それを羨んだり、ましてや中傷したり批難の対象にしたりはしない。ある意味、傷をなめ合って生きている、というのだろうか。例えば、あそこにいる母子、女の子はこのハンバーガー店から学校に行き、ハンバーガー店で宿題をやり、24時間営業の店内で眠る。母は働きづめなのである。どうやら、義母の博打の借金を返済しているらしく、そのために働きづめに働いているのである。その他にも、絵を描かせたら素晴らしい才能を持っているのだが、厭世的な性格で、才能を埋もれさせている中年男…、亡き妻の席を常にひとつ空けておいて、そこに彼女が今もいるかのように振る舞う年寄り…彼は2年前からハンバーガー店に居続けているのだが、それは奥さんの自殺が原因だった。定年まで必死に働いてきたのに、奥さんの自殺が原因で「難民」となっているのだ。その他…。そして意外なことに、どうやらポックは昔に公金横領をして、その借金を妹が肩代わりして返しているというのだ。妹は年老いた母親の面倒も見てくれているらしい。金融エリートが転落した、その行きつく先がこの場所であったようなのだ。
仲間の内の一人が拾ってきた携帯電話で記念撮影をする。それぞれの人生を背景に、この深夜のハンバーガー店に集まった者たちが、全員でカメラに向かって笑顔を作る。
もう一人、ここで「暮らす」住人とは別に、ポックには親しくしている相手がいた。ジェーンという名前で、カラオケスナックで働いている。昔は本当の歌手で、売れていた頃のロングドレスなどのきらびやかな衣装を捨てられずに、今も倉庫を借りてしまっている。時々倉庫を訪れては衣装を眺めるのが楽しみなのだ。
ジェーンがポックに一番最初に出会ったのは、まだポックが金融界で風雲児としてブイブイ言わせていた時のことであった。その会社が開くパーティー会場で出会ったのだ。ポックはその時業界の最先端をいくエリート。ジェーンは一介のステージ歌手。だが、ポックが手渡してくれた名刺をジェーンは今も大切に持っている。
そして今。夜の香港の港を眺めながら、ジェーンはポックに愚痴をこぼす。スナックをリストラされそうだ。給料半額なら残れるかも、だけれど。基本、今のポックの周囲に集まる人たちは貧しい人たちである。だから、金銭的に助ける余裕はないけれど、働き口を探す手助けはできるしアイディアもある。例えばこうだ。ポックは、いつもハンバーガー店で一緒の母子とともに、立体駐車場に高級車を止めた人に対して、車磨きのサービスを行っている。目当ての車が駐車してきたのでバケツとモップを手にして行くと、中から降りて来たのはポックの元同僚であった。いかにも鼻持ちならない体で車から降りて来たそいつは、ポックに気付いて驚いた声を上げる。これはこれは…!という訳だ。かつてのエリートが、どうしてこうなったのだ?いやもちろん横領なんかするから、こんな風に落ちぶれたのだろうけれど。しかしそれにしても車磨きとは…!悩んでいたなら相談してくれれば良かったのに。退職金もあったのに。もちろんそんな甘言は嘘八百であり、かつてポックの後輩であったというその男は、ポックの今の姿を蔑んでおり、できるだけ貶めてやろう、という気持ちなのだ。
意外な過去を持つ男、ポック。だが、彼は彼自身については決して語ろうとしない。周りの人に対しては、あんなに親身になって世話をするのに。
例の母子は、また義母が博打に負けて借金を背負ったらしい。その電話が債権者からかかってくる。働いても働いても追いつかない。その上義母は、息子が交通事故で死んだのは妻である義理の娘のせいだと思っているので、絶対に義理の娘を認めようとしない。孫ですら憎んでいるのだ。物凄く憎まれているのに、尽くすのは何故なのか。
ポックは家出少年を床屋の見習いに紹介した。少年がこのままの暮らしではいけないと思ったからだ。自分の力で稼いで、いつか胸を張って母親の元へ行けばいい、と。
この頃から終始ポックは胸を押さえて痛がっている。
ジェーンは無理やりに近い形でポックを病院に診察に連れて行った。診察結果は肺がん。診断が出ても強がるポックであったが、その間に実母が入院していた。実母はあまりにもポックに会いたがり、面倒を見ている妹も苦労が絶えない。もう少し呆けがが入っているようなのだ。
また、ある時、ハンバーガー店で過ごしていた仲間の一人がひったくりで捕まる。貧しいが、そういうことをする人間ではなかった筈だ。だが捕まえられた彼曰く、毎朝朝ご飯が食べたかった、だから刑務所に行くのだ、と。
ポックとポックの周りは加速度的に悪い方へ向かって行く。
そしてポックはみんなの前から忽然と姿を消した。
ジェーンはポックの行方を探し回った。そしてある夜、あの時2人で過ごした埠頭で、ポックが段ボールにくるまって寝ている所を発見する。周りには血のついたテッシュ、何日もロクな物も食べていない様子だ。
ジェーンは起きたポックに対し、埠頭でとりとめのない話をする。なんのことはない、けれど唯一ポックに戻ってきて欲しいことが伝わる話。「あらゆる投資の中で、愛の投資はコストが最も少なく、利益が最も良い」これは昔CEOだった時のポックの言葉である。
午前4時。いつもの24時間営業のハンバーガー店。例の母子はまたしても今夜もそこで寝泊まりしている。座ったままの格好でうとうとしていた母の方であるが、様子がおかしい。その内息をしなくなり椅子から崩れ落ちてしまう。…過労のあまり母は死んでしまったのだ。娘を残して…。
ポックはガンで弱った身体のまま、夜のバスに乗っている。昔、母と妹と暮らしていた集合住宅を訪ねてみたくなったのだ。停留所を告げるバスのボタンを押すも、弱り過ぎて降りることができない。そのままバスの中で…。
ラストは、ハンバーガー店に集っていた人々それぞれが、あの頃に撮った写真を時々思い出して眺めながら、それぞれの人生を送っていくショットを映して終わっていく。
Q&Aは監督のウォン・シンファン、主演のアーロン・クォックが登壇。
いやもう興奮の極みである。アーロン・クォックは言うまでもなく大変カッコいい!業界広しといえども、ド派手なオレンジ色のアラン編みのセーターを着て(しかもそれがよく似合って)舞台挨拶ができるのはアーロンくらいなものであろう。ともかくともかく、無茶苦茶カッコ良かった!!
ウォン・シンファン監督:アーロンについて、演技派言うまでもなくプロフェッショナル。役作りとして、現場に来る時は空腹で何も食べていない。そして撮影が終わると(食べ物を探して)あちこちを物色している。
アーロン:浮浪者、食べるのに精いっぱいの役をリアルにしたかった。入り込んでやることが大切だった。実は優秀な金融ブローカーだったが、一度過ちを犯してしまい刑務所へ。犯罪の経歴があると、社会になかなか受け入れてもらえない。下層の暮らしをしている人はどのような人か、ということも描いているが、24時間営業のファストフード店の中で、次第に家族のようになって助け合うようになる。このことで監督は「愛」を描いている。監督は、階級も関係ない愛の力を表現しようとしていたと思う。
(本作で自分自身)別のアーロン、今まで自分も見たことのなかったアーロンを見た。短い人生の中で
悔いのない振る舞いをする、それが大切だと改めて思った。
監督:母とは、愛に行くけれど会えないものと決めていた。
アーロン:監督と脚本家はとても残忍に人だと思う。3人でじっくりデティールの部分も議論した。ガン-母に会えない…というのは残忍だと思う。もちろん犠牲者は必要だ。この犠牲も愛のため、と思わせるように。そしてより多くの観客が私の役を好きになるだろう(笑)。
監督:アーロン、ごめん(笑)。タバコを吸え、とか(笑)。タバコはとても重要な役。解決できないことを考える時に吸う。麻薬のようである。わずかな憩い、くつろぎである。
人はいつでも家族に会える。だが、アーロンの役はそれを逃げている。こういう風に逃避行する人には会わせない、としたのだ。
マクドナルドのように24時間営業の店が始まったが、始まりは日本だったと思う。こういった、家に帰れない人たちを政府はなかなか助けてくれない。こうした帰れない人たちの目の前にあるのは、階段の1歩ではなく大きな壁なのだと思う。
アーロン:2年前のカンヌで現地に居た時に、この作品のシノプスを読んだ。最初の数行で気に入った。信念をもっていれば希望は生まれる。但し、貧困はその希望を奪う、というのだろうか。
100%違うアーロンを演じて、この映画を通してこういった人たちを助けることができれば、こういった人たちのことをもっと考えた方がいい、それが本作を通したメッセージである。
(2019年アジア映画)