アジアの未来部門。作品賞を受賞。審査員満場一致とのことだが、さもありなん。
とても良い作品だった。ヨウ・シン監督は、この物語の主人公の少年のように、小学生の頃実際に、日本へ仕事に行ってしまった両親と離れて祖父母宅で暮らしていた経験があるらしい。そういう点では私小説のような趣があるのだが、私小説にありがちな独善的な見方がない。映画として、お話として、少年の成長譚として、心に響く作品となっている。
小学校。教室で、戦争映画を教材として見ている。中国人民軍がいかに勇敢に戦っていたかを表すような映像だ。
突然停電になり、画面が消えてしまう。続きは月曜日の授業で、と女教師チェン先生が言う。結構厳しめの先生のようだ。授業の続きとして、先生が解放軍の戦記を朗読する。ティエンティエンは、机の下でこっそりと三国志の漫画を開く。読んでいるのを先生に見つかり、怒られる。月曜日にお祖母さんに学校に来るように伝えなさい。
帰り道、ティエンティエンはガキ大将たちに羽交い絞めにされて、靴に隠してあったお金を取られる。1人でとぼとぼと帰る。途中で祖父が自転車で迎えに来た。一緒に市場まで行く。
市場で祖母とも合流した。だが、祖母は深刻な顔をしている。自転車を盗られたらしい。買ったばかりだったのに。そういえばさっきすれ違った赤いレインコートの女が乗っていた自転車は、祖母のと同じだったような気がする。ティエンティエンは110番しよう、と言うが、祖父は、こんな些細なことでダメだ、と言う。それに対し祖母は、今の言い方聞いた?まるで大金持ちね、と返す。
3人で歩いて帰ったら、だいぶ暗くなってしまった。市場で買った食材も自転車ごと盗まれてしまったので、今夜は家で作るものがない。ティエンティエンは同居している従兄の少年に、何故追いかけなかった?俺なら死んでも追いかける、と言われる。赤いレインコートの女についてだ。
祖父母、ティエンティエン、叔父、従兄で外食をすることになった。叔父はトイレにネズミ捕りを仕掛けていたが、その作業を終えて出掛けることになった。出掛ける時に、ティエンティエンも従兄も、柱に身体をあてて、背を測らされる。柱の傷は背比べの傷だ。
ティエンティエンは、今祖父母と暮らしている。祖父は昔は学校の先生だったようだ。今でも「李先生」と呼ばれている。ティエンティエンの両親は外国(日本)に仕事に行っている。数年後、目途がたったらティエンティエンのことを呼び寄せると言っているが…。
餃子屋で夕飯を食べる。みんなで順番に、餃子の数を申告して注文をする。従兄は見栄を張り、到底食べ切れないような数の餃子を注文する。叔父は絶対に残すな、という厳しい目線を向けるだけで咎めはしない。余裕だ、というポーズで従兄は食べ始める。
餃子屋では、主人とその息子が働いている。息子は若くて体格も良く、有望そうな感じだ。だが、就職せずに、親の手伝いをしている。餃子屋の主人はそれをちょっと不甲斐なく感じているようだ。子は老後の頼り?大嘘だ、と言ったりする。息子は息子で特に夢もない、と言う。祖父は、昔のツテで学校の体育局を紹介しよう、と持ち掛ける。餃子屋の主人はとても感激しているが、息子自身はどう思っているのだろうか…。
そこで出た話では、盗んだ自転車を売る場所があるらしい。祖母は、売っていたら買い戻す、と言う。だって自分の自転車なのに?とティエンティエンは思う。
従兄は結局餃子を全て食べたが、叔父はなんと餃子をお土産にして家に持って帰って息子である従兄にチャレンジさせ直す。叔父はその様をずっと見ている。もし根を上げたら鉄拳が飛んでくることは間違いない。もう餃子を見たくもないであろう従兄だが、黙々と食べ続ける。叔父は退役軍人でとても厳しく、従兄の方は悪ガキながら大変根性があった。
翌朝、朝餉の準備をしている祖母の傍らに、ティエンティエンと従兄が寄ってきて、何かの煮炊きの「膜」を鍋から食べる。ミルクの膜?お粥の膜?具体的には判らないのだが、子供にとっては美味しいものらしく、毎朝変わりばんこでそれをつまむのが朝の日課のようだ。本当は今朝はティエンティエンの順番だったはずなのに、従兄が先に来て膜を食べてしまった。祖母は従兄を叱る。母親に会えないのよ、少しは譲っておやり。すると従兄も反論する。俺だって同じだ。
トイレに仕掛けていたネズミ捕りにネズミがかかったようだ。叔父はネズミの始末を2人に見せる。
祖父母とティエンティエンとは、自転車の盗品市場へ行った。予想通り、祖母のものだったと思われる自転車が売られていた。売っていたのは子供を抱えた若い女である。祖母は値段の交渉をするものの、相手も百戦錬磨の自分の母親を連れて来たりして、金額交渉は不調に終わった。渋々高い金額で自転車を買い戻した祖母であったが、帰り道に愚痴をこぼす。これはサドルも違うし、カゴもついていない。祖父が、盗んだままのものを売る訳ないじゃないか、少し変えてから売るものだ、と諭す。
祖父と祖母は時々口論をする。祖母は昔ながらの古いタイプ、という訳ではなさそうだ。例の餃子屋の息子に職を紹介する話で揉めた。祖母は祖父に言う。他人様の働きを心配している場合?自分の息子は?祖父も、お前は口を出すな、と言う。学校にツテがあるなら、自分の息子も世話してよ、と更に祖母は言う。ならお前が行って来い、と祖父も返す。
祖母はティエンティエンに言う。お祖父ちゃんは偽善者よ。ティエンティエンには判らない。…偽善者って?
どうやら、叔父は戦地から帰還してから、PTSDを患ったのか、働きもせずに家にいるらしい。妻もそれで出て行ってしまったようなのだ。今、息子である従兄と共に、祖父母の家に居候しているという状態のようなのだ。
互いに母親のいない生活を送っている従兄同士。性格は全く違うが、仲が良かった。ティエンティエンはひよわなインテリタイプ。従兄はガキ大将タイプだ。彼は密かに、ティエンティエンのことは自分が守る、と思っているらしい。
ある時ティエンティエンは思いついた。家の自転車を囮に使って路上に置いておけば、誰か盗む者が出てくるかもしれない。そうしたら、そいつを追いかけて捕まえればいいのだ。泥棒を罠にかけて捕まえる。なんと素敵なアイディアなのだろう。
そして、ティエンティエンは従兄と2人で作戦を実行する。顔に炭を塗って草で編んだ帽子を被り、気分はもう特殊部隊である。その格好で夜出掛けようとする所を見咎められ、「戦争ごっこをするんだ」と言い訳して家を出る。囮は祖母の自転車だ。
雨の中、祖母の自転車を道に放置して、物陰に隠れてしばらく見張っていると、大人の男がやってきて、自転車を持って行こうとする。獲物がかかったのだ。ティエンティエンは道路に飛び出してそれを阻止しようとするが、相手は大人の男だから腕力に勝り、ティエンティエンがいくら文句を言ってもいくら身体を張っても、自転車は持ち去られてしまいそうになる。従兄が助太刀してようやく自転車を持ち去られるのを防いだが、泥棒を突き出すどころの騒ぎではない。大人の男は捨てゼリフを吐いて去って行ってしまった。
家に戻ると顛末がバレていた。祖母の自転車を勝手に持ち出したといって、大変叱られる。同じ泥棒が盗みに来ると限らないのに。人の物を(祖母の自転車を)許可なく持ち出すことは盗みだぞ。ティエンティエンは不公平だと思う。自転車は買い戻すくせに、と。
例の授業中にティエンティエンがこっそり漫画を読んでいた件で、祖母はチェン先生の所を訪ねる。先生は浮かない顔をしていた。先生の告白によると…今朝、夫と離婚して、子供を手放してきた。私は悪い母親なのに、子供の教育なんてできるのだろうか?
祖母はチェン先生を慰めるが、言葉が見つかった訳ではない。チェン先生はティエンティエンの三国志の漫画を返却する。
祖父は、部屋で色々思いを巡らせていた。餃子屋の息子を体育局に紹介するのにツテを辿ったのだが、一番有力なコネの人物は、身体を壊して学校を辞めていた。ガンなのだそうだ。だが、彼が電話で紹介してくれた学校関係者の所に、餃子屋の息子を連れて行ける段取りとなる。学校に手土産を持って訪ねると、その学校関係者はかなり横柄な態度で、年上の祖父のことを敬おうともしない。手土産も断られる。今はそういう時代ではないのだ。餃子屋の息子に紹介された仕事も、体育の先生などではなく、プール掃除だった。普段なら生徒がやるような仕事だ。
そう、時代が変わったのだ。祖父は思う。祖父が子供の頃は盗みなどなかった。皆貧しくて、盗む物などなかったからだ。それに、盗みにを働けば腕を切り落とされた。
叔父がまた従兄を叱っている。今回は従兄も黙っていず、激しい口論となる。かっとなった叔父はぶちまける。ティエンティエンは祖父の部屋に自由に入れるのにお前は入れない。なぜだかわかるか?叔父は祖父から飲み過ぎだぞ!と強くたしなめられる。
正義とは何か。正しいこととは。もう一度、自転車泥棒を捕まえる為に、罠を実行することにする。例の祖母の自転車を囮にする作戦だ。今度は祖母や叔父が家の窓から見守る中、ティエンティエンと従兄は自転車を道路に放置し、物陰で見張る。
若い男がやって来て、自転車を盗もうとした。ティエンティエンと従兄は泥棒を追い掛ける。途中から村人達も加勢して、泥棒を囲み袋叩きにする。追い詰められた犯人は、ナイフを取り出し反撃をする。そして振り回したナイフによって従兄が切りつけられる。
そこに、家の窓から顛末を見ていた叔父が、物凄い形相をして、物凄いスピードで駆けつけ、従兄をおぶい脇目も振らず病院へ担ぎ込みに行く。はっとするほど古いけれど真の愛の形を見た感じ。
家族とは何なのか?
(多分、叔父は祖父の本当の子供ではないのでは?祖母の連れ子なのでは?という気がするが本当はどうなのかはわからない)
日がな一日家に居て、のらりくらりと過ごして来た叔父であったが、その日以来変わった。祖母に対して言う。軍隊仲間に仕事を紹介してもらった。この家を出て行く、と。従兄は悲痛な問いを投げかける。父ちゃんも僕を捨てるの?!
一方でティエンティエンは祖母からこう聞かされる。ママがお前を日本に呼び寄せたいそうよ。
祖父と祖母と叔父と従兄とティエンティエン。本当にひと夏の家族だったのだ。
学校の風景。放送がかかる。文化委員より通達。芸術の強化の為に、始業にはトルコ行進曲、終業には白鳥の湖をかける、とのことだ。
ティエンティエンは帰り道、またガキ大将とその仲間達に絡まれる。だが、今度は言うがままにはならない。何故なら、従兄から、ガキ大将をやっつける秘技を教わって来たからだ。とはいうものの、当然ティエンティエンは弱いので、すぐにやられてしまう。そこにカッコよく従兄が登場。従兄は採掘場の石でガキ大将を殴りつけボコボコにする。それ以上やろうとすると、何とティエンティエンが従兄に足にすがりつき、従兄を止めたのだ。ティエンティエンは従兄の足を離さない。今度は従兄とティエンティエンが2人で取っ組み合う。少し取っ組み合った後、採掘場の砂利の所に2人して寝そべる。
Q&Aは、脚本及び監督のヨウ・シン、プロデューサーのソン・シャオウェン(レイチェル)、撮影監督のシェルドン・チャウが登壇。ちなみにレイチェルはプロデューサー稼業を長くしているが、本作が中国語で初めてプロデュースした作品であり、シェルドン・チャウは中国本土では初めての撮影だったとのことだ。
監督:本作は、1997年の設定で、自身の経験に基づいている。5〜6歳の時から11歳位まで祖父母と住んでいた。社会的な問題を提起したかった訳ではなく、自分自身と向き合うため、という感じ。
撮影監督:コミュニケーションがままならない家族のことを伝えたかった。子供が尊敬するべき人たちのことを尊敬するできないと、子供自身に葛藤が生まれる。子供達の視点で撮影をした。多くの影や陰影、人の背中で表現した。
プロデューサー:アメリカと違い、中国には映画の組合が無い。チーム自体もプロデュースの経験が無くてノウハウも無い。だから、中国で新しい会社を立ち上げた程だが、とても良い経験になったし、中国の映画業界の将来にとっても良いことになればいいと思っている。
監督:半分リアリズム。当時の自分の記憶が黄色がかっていた。影にも重要な役割があった。脚本にどのように忠実にいけるかを考えていた。
撮影監督:田舎っぽい雰囲気を出したかった。黄、緑、オレンジ…街頭のオレンジっぽい灯りを夜のひとつの象徴にした。月明かりの青ではなく。
監督:世代間のそれぞれにとっての正義を通し合おうとする、または一致することを目的とした訳ではない。一致しない時に相手とどう向き合っていくか、が本質。
世の中は白黒はっきりしていればいいが、実際にはグレーの濃淡があるものだ。けれど、その中で相手に対してどのような態度をとるのかを伝えたかった。本作は監督デビュー作である。
(2019年アジア映画)