コンペ作品。グアテマラ映画。
私はこの作品、とても良かった。独裁政治が正に糾弾されんとするその時を、中南米の古い伝説と絡めて描き出す。ある種のホラーであるが、ホラーな部分は伝説の猟奇性だけではない。最もホラーなのは人心なのである。
真っ暗な画面から囁き声が聞こえる。
その囁き声は、やがて祈りの声だと判る。それも一人から発せられるものではない。白髪の女性を中心に、腰掛けて輪になった女性たちが、互いの手が触れ合わないぎりぎりに掌を合わせながら祈りを囁く。蝋燭の光が揺らめく。
グアテマラの元将軍一家の物語である。(恐らくこれは、1982年~1983年に独裁政権を握ったエフライン・リオス・モントをモデルにしているのだろう。)独裁政権の長に長く座していたエンリケ・モンテベルデ。彼は将軍時代のその蛮行をジェノサイドと咎められ、今正に裁判にかけられている最中なのだ。エンリケ宅に、政権の中枢を担っていた面々が集まってきている。来るべき裁判のその日に、どのように質疑応答するべきか、作戦を立てているという所だ。顧問弁護士の姿もある。先ほどの祈りのシーンで中央に居た白髪の女性はエンリケの妻だ。そして、祈りの輪の中に居たもう一人の女性は彼女の娘である。
使用人が何人も住むお屋敷は、いまやかなりひっそりとしてしまい、マヤ人の使用人たちも暇をもらいたがっている。メイド頭の女は女中部屋で敬虔に祈る。カクチケル・マヤ語だ。祈りと引き換えに悪が去るよう蝋燭を灯して祈る。
夜中、物音に目を覚ます将軍。すすり泣く声がすると思ったのだ。銃を手にして部屋を見回るが、特別変わった様子もない。翌朝、使用人たちを集めて問い質す。泣き声を聞いたか?その質問の仕方はただ単に尋ねるという感じではない。興奮気味でかなりエキセントリックな感じである。
(…彼女だわ…)(遠くから聞こえたの?)(耳元だって)(じゃ、遠くからだ)(彼女でしょう…)将軍以外がひそひそと話す。
側近や医師は言う。最近の状況を考えれば仕方ない。ストレスで認知症が進んだ。判決が出れば変わるだろう。
使用人が全員夫人の所にやってくる。メイド頭が皆の気持ちを代弁する。全員辞めたいと。みんな怯えている。残るようにお願いした上で、他所じゃ雇ってくれないわよ、と夫人は返すが、更にメイド頭は続ける。退職金が欲しい、支払ってくれと言っている、と。
刺繍入りのヴェールを頭からすっぽりと被り、マヤ人の女が証言をしている。政府軍のやったことを告発しているのだ。「私は勇気を出して経験を語った。だから勇気を出して正義を示して欲しい。」と裁判長に訴える。彼女の背後には同じマヤ民族の女性たちがヴェールを被りながら多数座って、裁判の行く末を見守っている。彼女の証言の内容は凄惨なものであった。家族が殺され、子供が殺され、女たちは犯された。村人全員が反乱軍だと咎をかけられ、1か月に3千人殺された。マヤ系のイシル族だというだけで。
裁判の様子である。被告人はエンリケ・モンテベルデ。この国の国民性を統一するためで、虐殺ではないと主張する。だが、殺された人の38%が13歳以下だったのだ。
裁判長が宣言する。「有罪」。ヴェールを一斉に取る女たち。雄叫びのように歓声を上げる。

判決を聞き、エンリケは発作を起こして立ち上がることができない。そのまま病院に搬出される。
病院で夫人と娘が話をする。夫人は証言台に立ったマヤ族の女性のことを罵る。「金で嘘をつく売女」だと。だが娘は言う。「ママ、あんな話でっち上げられないわ。」「信じるの?過去を振り返ったりしたら固まって塩の柱になってしまう。」
病院でベッドに腰掛けながら、タバコもブランデーも嗜むエンリケ。鼻にチューブは刺さっているものの、思ったより元気そうである。看護師の女性に「キミのもてなしは素敵だ」と声を掛けることも忘れない。病院から見たテレビのニュースで、裁判の無効が発表された。とりあえず、現段階ではまだエンリケは罪人ではない。では自宅に戻ろう。だが、この病院から自宅へ戻る時が壮絶であった。何故なら、裁判の結果に納得しない国民が大挙してエンリケの自宅前に押し寄せ、デモを行っているからである。警備員を携え救急車を走らせたものの、救急車を降りてから自宅の玄関までのわずか数メートルの間だけでも、物凄い人だかりの中から怒号と罵声が飛び交い、牛の血の固まりを投げつけられる。這う這うの体で自宅に戻ったものの、恐ろしくて窓際には行かれない。そして、こんな騒動の時に、例の使用人たちは、メイド頭を除いて全員が辞めてしまっていたのだ。夫人は、すぐに新しい人を手配するようメイド頭に指示する。メイド頭は、人手不足で大変難儀をしているのだが、自分の田舎に一人ツテがあって、今日にもその娘だけでも来る予定だ、と言う。

窓から外を見やっていたエンリケ。憎しみに満ちた群衆を見て何を思うのか。またふと、女のすすり泣きが聞こえたような気がする。「泣き声を聞いたか?」と家人に問うも、みんな聞いていない、と言う。だがエンリケは眼下の群衆の中に一人の女を見つける。黒い長い髪に白いドレス。絵面的にはとても不気味な佇まい。そして彼女は警備などものともせず、スッと家に入って来る。誰もがどっきりしたが、それはあのメイド頭が故郷の人づてに頼んでいたという新しいメイドであった。
何故か家の水道の蛇口から勝手に水が出る。
新しいメイドの名前はアルマ。メイド頭は制服を渡し、家の説明を一通りする。今夜からメイド頭と同部屋で寝るのだ。その晩、床に就いたメイド頭を覗き込むように、二段ベッドの上段から逆さまになって下を覗き込むアルマ。何かが起こりそうな、彼女そのものが何かであるような、大変不気味な描写である。

翌朝、エンリケの家の周りではまだ群衆が引きも切らない。「彼らの命を返せ!」の大合唱である。みんながそれぞれの犠牲になった身内の写真を持って掲げている。時には投石がされ、窓ガラスが割れることもあるので、家族はなるべく窓の側には近寄らないようにしている。アルマは、割れた窓の外にいたカエルを手にすると、サラ(将軍夫妻の娘の子供。将軍夫妻にとっては孫)を連れてひっそりとどこかへ行く。
家の中の目につくところからサラが消えて、母は慌てふためく。サラを家で探すがみつからない。庭のプールを探すがそこにも居ない。庭のプールには外から将軍を糾弾するチラシが投げ込まれて多数浮ている。その中をカエルが悠々と泳いでいる。まさか、サラの身に何かあったのではなていか?!と気も狂わんばかりであったが、サラはアルマとともに洗面台の所に居た。洗面台のカランの中に顔をつけて、息を止める練習をしていたのだ。現地語のカクチケル・マヤ語で数を数えるアルマ。
あまり心配をさせないで欲しい、という母親の心をよそに、サラはアルマと遊ぶのを無邪気に楽しんでいた。母親にお喋りの内容を報告する。アルマの故郷は水が豊富なんですって。アルマは子供が2人いたけれど、死んでしまったそう。
エンリケ元将軍はまたも夜中に目が覚めた。ベッドを抜け出して庭を見やると、プールの水面に夥しいもやがかかっている。そこに浮かんだ一人の女性の顔。アルマがもやのかかったプールの中を泳いでいるのた。そして水から出た後は、静かに音を立てずに歩き、そっと部屋に戻って行く。また泣き声が聞こえているように思える。そしてアルマの後をつけていくと、メイド部屋に水が浸っている。
叫び声で夜中の静寂が破られる。エンリケは(ベッドを抜け出して出てきていたので)裸同然の格好をしている上に、メイド部屋に侵入したのだ。そしてバスルームにいるアルマの所に…アルマを襲うつもりだったのか?アルマはバスルームで洋服を洗っていただけなのに。

エンリケは鎮痛剤を与えられて休んでいる。庭で夫人と娘が会話をする。娘はヨガをやりながら母の話を聞くが、それは娘としてはあまり聞きたくない類の話であった(「その話はやめて。私は今リラックスしたいの。」と言ったほどだ)。つまり、エンリケは昔から女癖が悪く、夫人は大層苦労したというのだ。特に進軍を指揮した時など、長期間家を空けるものだから、最初はひどく辛く苦しかったけれど。そういうものだと、女好きは治らないと思うようになった。だから、年を取っても癖が治らないのだと、メイド部屋に侵入した時に思った。特に原住民の女が大好きで…メイド頭のバレリアナは貴女の腹違いの姉なのよ。
衝撃的な話である。娘は混乱する。
その晩、夫人は幻覚を見る。焼き払われたトウモロコシ畑の中を、2人のインディオの男女の子供を連れて逃げまどっているのだ。だが軍につかまってしまい、子供たちは兵士に捕らえられ、川に連れていかれる。ゲリラの居場所を吐け。さもないと子供たちを溺れさせるぞ。知らないと許しを乞うも、将軍は冷徹である。目が覚めた時には恐怖のあまり失禁していた。
夫人の娘は医者である。夫人を診て、こういうこともある年齢だから。あまり気にしないで、と優しく声を掛ける。一方でふっと考えることがある。サラの父親…つまり、愛していた自分の夫カルロスが突然消えたのは何故?彼もよく笑う人だった。そう、アルマが、自分の夫がよく笑う人だったと言って、貴女の夫は?と聞いてきた時にふと胸を横切ったのだ。…彼もよく笑ったわ…でも今は一体どこに居るのだろう…?
エンリケのご乱心も含めて、自分自身が見た悪夢のこともある。この家はどうも良くない空気に満たされている。そう思った夫人は、家の中を見回り、寝室のベッドで隠れていた壁が怪しいと睨む。ベッドをどけてみると、そこの壁には黒魔術の痕跡が生々しく残っていた。バレリアナがエンリケの悪魔祓いをする。
事は一層狂気を帯びてくる。鎮痛剤でベッドに横たわっていたエンリケは、手元に酸素ボンベを置いているのだが、その酸素ボンベをサラが勝手にプールに持って行ってしまう。そして吸い口を口に咥えてプールに沈む。家の中で正体不明の物音がしたので、物音に気付いたボディーガードが、音の行方を追うが、彼の所に夫人の悪夢に登場した男の子と女の子が纏わりつき、邪魔をする。
またあの泣き声!エンリケは狂気に走り、銃を持ち出して庭に飛び出る。庭のプールはまたしてももやに霞んでいる(ようにエンリケには見え)、プールの中に銃を発砲してしまう。サラが中に潜っているのに!あの女だ、あの女のせいだ、と口走りながら。家の入口に大量のカエルが蠢く。

プールの中から救い出されたサラはこう語る。アルマは子供が恋しくて泣いている。アルマはずっと前からじいじを知っていた。そして、サラに溺れないように、と、溺れない方法を教えてくれた。
バレリアナが悪魔祓いを試みる。ありったけの蝋燭とありったけのお砂糖を持って、周りに置くのだ。その円陣の中に家族で入り、祈りを唱える。庭にはどこの誰とも分からない、だが確実に原住民の子供たちがわらわらとやってきて、どんどん増えてくる。
家族はトランス状態になっていく。特に夫人の脳裏には、あの悪夢の続きが蘇ってくる。子供たちを兵士に川に連れていかれて、ゲリラの居場所を離さないと溺れさせると脅されたあの夢だ。知らないのです、どうぞお慈悲を、と訴えても、相手は冷徹な将軍で…将軍?将軍のその顔は正に若き日のエンリケの顔だ。子供たちは川の中に沈められて溺れさせられてしまった。そして自分も目の前の将軍に額を撃ち抜かれる。夫であるエンリケに額を撃ち抜かれる。
夫人はトランス状態のまま、いやもしかしたら我に返り、夫エンリケの首を絞めて絞め殺す。夢でも幻想でもない、現実で。
エンリケ元将軍の葬儀が、自宅前で行われる。黒塗りの車でエンリケは運ばれていく。
後日、新しく着任した将軍がトイレで用を足していると、原因もなくトイレが水浸しになる。そしてすすり泣きと声が聞こえる。聞こえたのは…
「私の子供達!」

Q&Aは、監督のハイロ・ブスタマンテが登壇。
監督:本作で日本とマヤ文化の共通点などを見出せてもらえたらな、と思っている。これは自身の3部作の3本目である。1本目は「火の山のマリヤ」2本目は「Temblores」。3作共「侮辱」がテーマとなっている。「火の山のマリヤ」では、グアテマラの75%を占めるマヤ族の人たち、「Temblores」ではゲイの人たち。そして本作では人権。
グアテマラで三大罵り言葉といえば、「インディオ」(これはマヤ族を指す)「ウェイコ」(何も無い空間という意味でゲイのことを指す)「コモンスタ」(共産主義者)。マチズムや女性差別に繋がっている。女性に成り下がった、という表現もよく使われる。コモンスタは、人権を擁護する人たちを差別する言葉としても使われる。人権を擁護する人たちを守る団体ができるほどなのだ。
現代史であるジェノサイドと、ヨローナという怪談を融合させている。ジェノサイドは人類最大の罪。実際に10年以上に渡ってグアテマラで起きていた。ジェノサイドの裁判をしても、判決が出てもいやあれは間違いだった、といって覆ったりした。軍のこ ことや経済的なことがあって、そうなってしまった。
自分はマヤ族の血は入っているけれど、マヤ族がマジョリティなので、彼らに囲まれて暮らすのは難しいことではないが、ミスティ層(白人とマヤの血が混ざっている)であることを公にするのが難しい。そしてそれを恥ずかしいと思う。
母が再婚して、父が生粋のマヤ族だった。義祖母は字が読めず、自分が字を教え、義祖母には料理を教えてもらった。
何故マヤ・ソサエティを恥ねばならないか分からない。女性の現状を描くことが好きだが、彼女たちは押さえつけられていたりマイノリティだったりする。
例えばミスティ層などは、変化を好まない。今の場所が居心地がいいから。戦時中、女性が果たす役割はすごく大きいが、男が戻ってくるとまた元の役割の中に押し込められる。もし元に戻されなかったらどうなるのか?に興味がある。
ラ・ヨローナは、中南米ではよく知られている伝説。日本にも鬼子母神伝説があるように、亡くなったりいなくなった子供達を泣く大地の伝説である。
グアテマラでは子供達に戦争のことを話すのはタブーである。だが、子供はホラー映画が好きだと知り、「泣く大地」とそれを合わせればいいというアイディアから、本作では現代史のジェノサイドとヨローナという怪談を融合させようとした。
だが、ラ・ヨローナは元々はマチズムに基づいた伝説だ。白人男性に捨てられた女が、女だからこそ悲しみで気がふれて、子供を殺してしまう。神様がその罰として、一生泣いているようにした。そういう伝説である。だから、それを変えてみた。ラストに至るまでの将軍たちのジェノサイドでの現場のことだ。子供を殺したのは本当は女…母ではないのだと。そして夫人が将軍を殺す。
このQ&Aで、監督の意識の高さが判り、同時に何故私が本作をとても好きだと思ったかも判ったような気がした。マイノリティや女性に対する差別を憎み、マチズムを嫌悪する、その主張がよく判ったのだ。そして伝説を逆手に取ったその展開が、単なるホラーで終わらずに、とても気に入ったのである。

(2019年洋画)