香港映画のオープニング。色鮮やかな中国の彫り物が配給会社を伝える前後の画面に出てくる。そこに、その彫り物の美しさに勝るとも劣らないペン描きの紋様が形作られていく様が画面に流れる。
刑務所の中である。最初のペン描きの紋様は、この刑務所の中で、手先の大変器用な男が描いている紋様のアップであった。最初刺青を描いているのではないかと思ったがそうではなくて、彼が描いていたのは切手の模様だった。男は作ったばかりの贋の切手を封筒に貼り、そっと文具集配車のキャスターに乗せる。
その男レイ ( アーロン・クォック ) は、突然独房から出され、取調室へと移送される。怯えながら取調べを受けるレイ。だが彼は、その気弱な動向からは考えられない犯罪履歴を持っていた。彼は、香港を震撼させた贋札作りの犯罪組織のメンバーで、贋札作りのみならず、強盗、爆破事件、人質事件、警官殺害、…あらゆる犯罪を犯していたのだ。そしてその犯罪組織の首謀者は「画家」と呼ばれる男で、この冷酷無比な「画家」の正体は謎に包まれている。あの最後の大捕り物で、この犯罪組織のメンバーはレイを除いて全員死亡しており、「画家」は混乱に乗じてどこかへ消えてしまった。だから、ただ一人生き残って当局に身柄を押さえられたこのレイに事情を聞くしかないのだ。今取調室でレイを尋問している女刑事も、かつて最愛の人を「画家」 に殺されている。
保釈人がやってくる。レイと近い年齢の女性だ。レイとは二人が貧乏画家だった頃に出会っていて、一時は同棲をするも、レイを見限った形で(いやもしかしたら逆かも…レイが見限ったのかもしれないが)他の男と結婚した女だ。だが、彼女もまたその最愛の夫を「画家」に殺されている。何故それなのにレイの保釈を… ? つまり、真相が知りたいのだ。
彼女の名はユエン。1985年、バンクーバーでレイと出会った。お互い駆け出しの画家で、貧しい暮らしの中励まし合いながら絵を描いていた。しかし、本当に才能があったのはユエンで、レイの作品は才能を認められることはなかった。
そこに謎の男「画家」(チョウ・ユンファ)が現れる。「画家」はレイの画才に対して初めから挑発的であった。芸術的な才能というよりも、技術的な能力を評価して、贋作作りの世界に誘ったのだ。心を込めれば偽物も本物に勝る、と。元々食べていく為にアルバイトとして骨董屋の贋作作りを手伝っていたレイではあったが、真の夢を忘れていた訳ではなかったので、「画家」の誘いに容易に乗ることはなかったものの、心の片隅では逡巡していたのは間違いない。
一方ユエンはその才能が個展を開く所まで至った。会場にはレイの絵も一点飾られていた。ユエンの想いで無理にそこに置いたのである。だが、個展の作品が次々と売れる中で、レイの絵は顧みられることはない。そこにまたしても「画家」が現れ、レイの絵を酷評する。世界にゴッホは1人だ。2人目に価値はない。レイは屈辱にまみれ、自分の絵をその場で燃やす。
遂にレイは「画家」の誘いに乗って、贋作作りのプロの世界に足を踏み入れた。だが「画家」の仕切っていた贋作作りとは、贋札作りのことだったのである。
そこは、贋札作りのプロが集まるプロ仕様のアトリエであった。「画家」…ン・フクサンは香港人で、三代続く贋札作り一家だったのだ。(原板作りの職人がリウ・カイチーだったのは嬉しかったなあ!)そこに居たのはみんな一癖も二癖もある、だが技術的にはプロ中のプロであった。仲間の一人が言う。親父が言ってた。男がデカイ事をするのは大抵女のため。愛を捨てた男は何も成せない。
ン・フクサンは大きなヤマを持ってきた。アメリカで新しいドル札が発行される。これの完璧な贋作を作れれば、物凄い儲けを山分けできるのだ、と。そしてその日から、贋札作りのアトリエは活況を極める。研究に次ぐ研究、トライアンドエラーの繰り返し。新しいドル札は、干渉縞=モアレが特徴で、これを出すのはかなり高度な技術が必要だ。インクの緑色も普通にはない特殊な色である。贋札作りは困難を極めた。
原板作りのリウ・カイチーとレイは、共に作業をする時間が長くなり、段々と打ち解けるようになった。彼の表の顔はマニラで開いている骨董屋の店主だ。家族は彼の裏の稼業を全く知らない。彼は言う。正直な男は最愛の女に嘘を言うものだ。
苦労を重ねた作業であったが、ある時NASAが開発した塗料を塗料会社に売ったという情報を聞きつけた。この塗料は贋札作りにぴったりの代物なのだ。なんとかこれを手に入れて、塗料の開発に勤しむレイ。そして遂にドル札と同じ緑色を開発することができた。
完璧な贋札の完成だ!これを持って世界各国で商談を開始する。高度な贋札は高く取引されるのだ。ファレスで商談。ハバナで商談。バンガロールで商談。ダブリンで商談。…だが、ある取引先で悲劇が起きる。そこは密林の中にある傭兵が周りに目を光らせているような場所で、ボスはン・フクサンが代々取引している将軍だったのだが、突然裏切り、ン・フクサン達を殺そうとする。大規模な戦闘が繰り広げられ、ン・フクサン達は命からがらそこを抜け出す。その時レイは、爆弾で重傷を負った敵地の女を1人助け出す。
ン・フクサンは冷静で冷酷な男だった。今レイを取り調べている女刑事ホーは、昔新任警官と恋をしていたのだが、彼がン・フクサン達の商談に潜入捜査に入った時に、ン・フクサンに素性を見破られてその場で殺されている。そしてまたこんなこともあった。仲間内の掟によって自らが使用してはならない贋札が出回っていることが発覚。それはリウ・カイチーがマニラの骨董屋で金策に困って使ってしまったものだった。冷酷なン・フクサンは、掟に従って命乞いも顧みずリウ・カイチーを射殺する。
歯車は徐々に狂っていった。レイはン・フクサンのやり方に疑念を持つようになっていった。だが、ン・フクサンはレイに服従を強いる。過去と決別させるために、ユエンの今の姿を見せたりもする。彼女は今や画家として大いに成功し、実業家と華々しく結婚をしたのだった。
そして「画家」は、そのユエンと彼女の夫を拉致し、レイに殺せ、と命じる。もちろんそんなことはレイにはできやしない。彼女達は目隠しされていてレイの素性はわからないものの、こんな雪崩を打つような狂気について行けるはずもない。
彼女達を殺す、殺さないを含めて、ン・フクサンすなわち「画家」に忠誠を誓うかどうか…これはその場に居た贋札作りに関わるメンバー全てに課せられた選択であった。睨み合いの続く中、警察が踏み込んで来た。室内で銃撃戦が展開される。結局ユエンの夫は死亡。贋札作りのメンバーもレイを除いて死亡。「画家」は何処へと消えてしまった。そしてレイは警察に確保される。
ここまで取調室で供述してきたレイであったが、この供述内容からいくと、レイ自身は凶悪犯罪の首謀者ではなく、ほぼ巻き込まれたといっていい立場であることが判明した。もちろん贋札作りに関わったことはよからぬことではあるにせよ、ユエンというきちんとした(今や世界的な画家の)身元保証人がいて保釈を認められないという程のことではない。レイは、最後に「画家」の似顔絵を描いて捜査に協力し、保釈を認められる。
似顔絵の男は、流石に画才のあるレイが描いただけあって、非常に精巧であった。そして女刑事ホーはその絵を見て気付く。これは…これは、我が署にいる警官だ!「画家」は警官を装ってのうのうとシャバにいるのだ!
捜査員達は色めき立ち、すぐに捜査網を敷いた。果たして問題の男は署にやって来た。署員総動員で警官の男を取り押さえる。だがその男は…確かにレイが描いた似顔絵の男ではあったが、本物の警官で、「画家」とは全く関係がなかった。そう、その男は、レイをあの捕り物劇から逮捕して警察署に移送する時に、その運転手をしていた本物の警官だったのだ。
レイ程の模写の能力があれば、一度見た男の顔を記憶に頼って寸分違わず描くことなど朝飯前なのであった。つまり…つまり確保したこの男はただのスケープゴート。レイはこの男の似顔絵と引き換えに、まんまと刑務所から脱したのであった。
そしてそれはつまり…ン・フクサンなんて居ない。「画家」なんて最初から存在しないのだ。これは全てレイ本人が仕掛けたこと。レイの語った「画家」の所業は全てレイ本人の仕業だったのである。
だがそれに署員達が気づいた時、既にレイは自由の身となっていた。ユエンと共に。いや、そしてそれさえも本物のユエンではない。レイは若い時にユエンの隣のアパートに住んでいただけで、ユエンとは会話を交わしたことも殆ど無かったのだ。では、警察署にレイを保釈しに来たのは誰なのか?
それは、あの密林での商談が破綻した時に助け出した女であった。彼女はその時顔に酷い火傷を負ったので、整形手術によってユエンとそっくりな顔に生まれ変わったのだ。そしてレイと女は愛し合うようになる。だが女は気づいていたのだ。自分がユエンの身代わり以上でも以下でもない存在だということに…。
全てが偽り。全てが贋作。真実がどこにもない中、ただ女の…女刑事ホーの、そしてユエンに顔を変えられた女の…愛の真実だけが贋物を本物に変えていく。あの贋札工場で語られていた「男が大きなことを成すには女への思いが原動力となる」という話は、裏を返して女への思いを疎かにするとそれは…という話になったということなのだろうか。誰をも信じられない男は結局は誰の信頼も得られず、その虚飾にまみれた人生に幕を下ろす。
Q&Aは監督のフェリックス・チョンが登壇。フェリックス・チョンは、「インファナルアフェア」シリーズの脚本を書いたことでも知られる人物。
幼い頃から日本の推理小説…横溝正史や松本清張に影響を受けていた。
本作で監督と脚本と両方やったが、作品を作るのに沢山の異なる自分と向き合うことになった。
脚本の書き方だが、色々な人物を設定してから内容を考え人物を当て嵌めていく。その中で人物が発するセリフを作っていくので、予めセリフを設定しているわけではない(これをメソッド・ライティングと呼んでいるが、確か村上春樹もそんなアプローチをしていたと思う)。キャラクターが自分で動き出しているのだ。最終的にキャラクターは何も言ってはくれないけれど、見せてくれる。自分はその中から選ぶだけだ。
本作の終わり方であるが…人生では8割ないし9割が面白くない、楽しくないことだと思っていて、自分の周りにも自殺した人たちもいるのでそういうものだと思っているので、あの全部が破滅する終わり方しか考えていなかった。
ホー刑事は疑似恋愛に一生を捧げている。一方レイ達には色々なことが起こったけれど、本当の愛はなかった。道徳的な観念に基づいているのかもしれないが、1人を愛しているが何も起こらない。どの監督も自分に正直であれば、作品に自分の体験が反映されているものだ。
チョウ・ユンファは今62歳だが、吹き替えを使ったのは将軍の家で下に転がった所1回だけだった。
この作品を書いたのは2008年。その時はチョウ・ユンファを想定してはいなかった。失敗者がヒーローになることを描いてみたかった。それでチョウ・ユンファといえばスーパーヒーローなので見事に当てはまったのだが、とてもチョウ・ユンファにお願いすることなど考えられなかったので、チョウ・ユンファっぽいこの役は別の人にやってもらおうと思っていた。ところがアーロン・クォックから「どうしてこの役をチョウ・ユンファにしないの?」と聞かれたものだから、だって連絡先さえも知らないのだから、と言ったら、アーロンが「僕は連絡先を知っているよ」と言って連絡をとってくれた。そしてチョウ・ユンファ自身も脚本を読んで、この役は自分以外いない、と引き受けてくれた。更にこの作品に出た後、引退を撤回したのだ。