コンペティション作品。トルコ映画。
基本はドタバタコメディなのである。40歳を目前とした都会暮らしの男が、ここではないどこかに逃げ出したいともがくストーリー。なんてことはない話なのだが、現代社会…トルコの現代社会の風刺に満ちており、異国の香りがすると数段面白く感じるから不思議だ。
渋滞で車が満ち溢れたイスタンブールの街。トルコ行進曲のBGMが、アップテンポな日常を映し出していく。とあるマンションの建設現場。このような建設現場は、今のイスタンブールには山ほどある。急速に発展する都市にインフラが追いつかない。
タフシンはこの建設現場の責任者である。現場監督というよりホワイトカラーで、手は動かさずにただ指示を出すだけ。今日も現場に出向いたが、ヤル気が出ずに盛り土の上で昼寝をしていた。トラクターが通るから邪魔だとどかされる。そしてひっきりなしに現場から問い合わせを受け、指示を仰がれ、携帯電話にもメールやネット情報更新を伝える着信音の嵐。発注していたベニヤ板がこれではない、違うものが来ている、どうするんだ?!と現場から詰め寄られて、タフシンは耐え切れずに、会社で大切な会議があるから今すぐ戻らなければ、とその場から逃げる。
車を運転するが、いつものようにイスタンブールの街は大渋滞だ。運転している最中にもメールがひっきりなしに、渋滞情報もひっきりなしに入ってくる。トルコ行進曲のメロディーと、携帯の着信音のコラボが絶妙だ。
戻ってきた時には既に夜になっていた。タフシンはそのまま飲みに出掛ける。女友達のエレフと約束していたのだ。バーで飲んでいると、シレンがやってきた。シレンは相変わらず美しい。それに10年前とは変わった。どうしてるの?シレンは言う。…そう、あの退屈な仕事、広告代理店を辞めて…引き取ってエレフが説明する。仕事を辞めてインドへ行って、食べて祈って恋をしたのよ!そして今シレンは、南に移住して有機農園をやっているのだ。嘘のない穏やかな人生を過ごしている。
一方タフシンは、イスタンブールの街をコンクリで固めている。本当は、本当の自分はこんなものではないはずなのに…。
エレフはタフシンに言う。あなたは5年間ずっと同じことを言っている。でも何も変わらないし変えようとしないのよ。ずっと惨めなまま。
シレンは今夜がイスタンブールに滞在する最後の夜なので、この後パーティに出向くのだと言う。タフシンとエレフも誘われるが、エレフは明日朝イチで会議があるので家に帰ると言う。このままで終わりたくなかったタフシンは、シレンの後について行く。…10年前、少しあなたのことが好きだったのよ、などと言われて悪い気はしないのだし。
あまり飲まないつもりがとことん飲んでしまった。パーティはこじんまりとして素敵だった。夜風に当たりながら、タフシンはシレンと話をする。都会ではない南の、そして有機農園の素晴しさも聞く。心の中で決意が固まってくる。タフシンはシレンの携帯電話の番号を聞く。
妻と暮らすマンションに深夜に帰ってきたタフシン。妻アレヴとはあまり上手くいっていない。普段からそうなのに、その上今夜は義父とのディナーの約束をすっぽかしていたのだ。怒りまくる妻であったが、タフシンだって義父とのディナーなんて最も行きたくないもののひとつなのだ。喧嘩の末に別々の部屋で寝るタフシンとアレヴであった。
翌朝、マンションの窓を開けると、イスタンブールの騒音が飛び込んできた。街はそこら中が工事中である。これが日常なのだ。だがもういい。もうたくさんだ。
タフシンは、スーツケースを車に積んで勤務先に行く。折しも大切な会議の最中で、タフシンは遅刻して行ったような状況だったが、悪びれずスーツケースを抱えて会議室に飛び込む。最高責任者の義父が、タフシンを叱責する。昨日のディナーのすっぽかしもあって怒り心頭だ。日頃から娘婿のことを蔑んでいたことがわかる叱責の仕方。タフシンは、義父に啖呵をきる。こんな会社辞めてやる!
止められることもなく、タフシンは会議室を後にする。行くのだ。このまま空港に行って、南の有機農園へ。だが、警備の者が後ろからやって来て、IDカードと車と携帯電話を返却しろと言う。いずれも会社の持ち物だからだ。タフシンは仕方なくそれらを返し、車以外の方法で空港に向かおうとする。
ここからがドタバタの真骨頂。空港へのバスのチケットを買おうとするも、自販機はなかなか言うことを聞いてくれない。挙句に札が飲み込まれ、クレジットカードも止められたのか使用不可になっている。やむなくえいやっと無賃乗車をするものの、検札に途中でバスを降ろされてしまい途方に暮れる。どうにかして空港に辿り着くためには、何か策を練らないといけない。
タフシンは街中を歩きATMを探すことにする。金が無ければタクシーに乗ることもできない。歩きながら通行人にATMの場所を聞くも、ここは都会でみんな行き過ぎるばかり。通り道でたむろしていた若者グループにまで聞いてみたが、彼らはクサを決めているのかラリっていて話にならない。
歩き続ける内に、疲れ果てたタフシンは、一軒のカフェに入る。満席だったので相席を頼みお茶で一息つく。勇気を出して、相席の男に携帯電話を貸してくれるようにお願いする。シレンに連絡を取りたいからだ。相席の男は電話を貸してくれたが、かけてみてもシレンの電話は留守番電話になっていた。頭を抱えるタフシンを見て、客の…というよりその店の常連で主(ぬし)のような存在の男が声をかけてくる。何か困っているのか?タフシンは、空港に行きたいのだが金も連絡手段もないことを打ち明ける。すると彼は、ちょうどそのカフェにいる自分の息子2人に、タフシンを空港まで車で送らせよう、と言ってくれた。困っている人は助けなければならない。これはイスラム教の教えであり、もっと言えばトルコの国民性にも関係している信念なのだ。
タフシンはありがたく申し出を受ける。息子2人のオンボロな車に乗せてもらい、空港へと向かう。彼らは少し荒くれ者な感じで、タフシンを空港に送らなければならない正当な理由(例えば病気の母親の為に何としてでも帰省しなければならない、など)について理解できないのであれば、今自分たちがこうして車に乗せていることに意味を見出せない、などというようなことを言って絡んでくる。何とかその場は収まり、少し和んだ雰囲気にはなったものの予断は許さない。
道中、息子たちの話を聞くに、彼らはイスタンブールの再開発に並々ならぬ憎悪を持っていることがわかった。街はもう滅茶苦茶だ。昔から住んでいた我々のような住民はどんどん追いやられ、店も立ち退きを迫られている。そして彼らの憎悪の矛先は、古い街を壊し新しい建物をどんどん建てていく建設業者に向けられた。ヤツラは最悪だ。
車に乗せていただいている以上、ことを荒立てるつもりはない。タフシンも尻馬に乗り、彼らの意見に同調する。最悪だ、本当に最悪だ。と。もちろん自らの職業は隠している。だが調子が良かったのはそこまでで、彼らの車はすいているコースを取るといい、何故か遠回りとも思えるルートで車を走らせ、挙句にとある建設現場の前で車を停める。ここが憎き建設業者の建てている建物だ。ヤツラに罵詈雑言を浴びせてやれ!車の中から建設現場に向かって悪口を叫びまくる彼らは、タフシンにも同じことをやれと命じる。だがその建設現場は、昨日までタフシンがいたあの現場であったのだ…!
同調して同じように悪口を叫びまくるタフシンであったが、中から出て来た現場の人間によって素性が割れ、車に乗せてくれた男たちの怒りを買う。調子のいいヤツめ、信用ならない。怒りは暴力に発展し、タフシンは車を降りて彼らから逃げなければならなくなる。
イスタンブールの街中を走って走って。怒りの沸点最高潮の暴力男たちから逃げるタフシン。彼らをまくために、床屋に入ったり、老婦人の荷物を持ってあげる親切を装って彼女の家に匿ってもらったりと、抱腹絶倒という訳ではないが、結構面白いドタバタ劇が繰り広げられる(床屋は再開発で立ち退きを迫られる個人商店の哀愁が見て取れるし、老婦人の家で出されたお茶がクサ入りでラリってしまう所なんかも閑話休題としては楽しい)。そんなこんなでどうにか追っ手を振り切ったタフシンだが、やはり金もなく交通手段もないことには変わりはない。やっと捕まえたタクシーも、今日は国賓がやってくるのもあっていつもの交通渋滞に輪をかけて道が流れず、空港までは絶対に行かない、と運転手は言うし。母親が病気だと嘘の話をして同情を引き、どうにかこうにかタクシーを出発させようとしたが、先ほどの「ヤク婦人」からもらったお金が偽札だということが判明し、タクシーから叩き出される。
もう打つ手はない。
この街はまるで監獄だ。でも監獄というのは簡単に出られるものじゃない。
そうだ。タフシンはイスタンブールからなかなか逃げ出せないのだ。だってイスタンブールは逃げ込むところなのだから。色々な事情を抱えた人が。
とぼとぼと歩き続ける道の真ん中で、タフシンは靴を脱ぎ捨て、スーツケースから取り出したサンダルに履き替える。
場面転換。
辿り着いた南の桃源郷。いや、桃源郷となるはずだった場所。タフシンは広大な有機農園のビニールハウスの中で農作業をしている。シレンがいる南の有機農園に結局無事に(?)着いたという訳なのだが、そこはタフシンが思い描いていたところとは違っていた。
そもそもがテキトーで怠け者のタフシンなのだからして、居場所が変わったからといって人格までもが変わる訳ではない。農作業をやってみるものの、やれ熟していない実を摘んでしまった、やれ工具の手入れはまだ終わらないのか?と、散々罵られ、居場所がない。シレンからの叱責は特に堪(こた)える。あなたはここに何しに来たの?女といちゃいちゃしてだらだら過ごす場所だとでも思っていた?更に最悪なことに、シレンの恋人らしい男が(タフシンにとって)訳のわからないことを言ってくる。閉じたチャクラを開いた方がいい、今夜それをやろう、とか何とか。
ここは、昼間は敬虔に労働に従事し、夜は焚き火を囲んで歌に酔いしれる、そんな(タフシンにとって)退屈な場所だったのだ。
耐え切れずタフシンは1人でバーに出掛ける。カウンターで飲んでいると、女が1人やって来た。あの農園で働いているの?と聞いてくる。元々あの農園を始めたのは実は彼女だったのだが、段々と方向性が変わってきて、今や有機栽培野菜のビジネスが中心となっている。資本主義社会から逃げたつもりで、搾取されるようになってしまったのだ。それが嫌で別の島を見つけて新しいパラダイスを作ったの。あなたも来ない?
そんなおしゃべりや休息は許されない。タフシンの携帯電話にシレンから電話がかかってくる。どうして出ないの?としつこく、うるさい。
いつの間にか、タフシンは空港に来ていた。イスタンブール行きのフライトボードを眺めやる。
エンディングにかかる曲は、トルコ行進曲を変調にアレンジしたもの。その変調が超絶ハマる。
Q&Aは、監督ラミン・マタン、女優エズギ・チェリキ、プロデューサー エミネ・ユルドゥルムが登壇。
監督:ここ数年間、街のどこを見ても建築中で、それも自分達のインフラなどを考えもしないクレイジーな建築ラッシュ。この作品はイスタンブールに住んでこその発想だ。イスタンブールの人なら何千人もの人が実体験している。
男優のデニズ・ジュリオールについては、TVショーなどでよりも劇場でキャリアを築いた人。オーディションで採用した。93分、決して好ましいタイプのキャラクターではないのにみんなを引き付けてくれた。
元のタイトルは「ロンド」というタイトル。あちこちぐるぐる回っている。このあちこちぐるぐる回っているというのが、ジャック・タチの「プレイタイム」に影響を受けているのかもしれない。
イスタンブールはメタファーである。人生の中で自分の道を失っていて、周りで起きていることにただただ巻き込まれ、流されている、それに対して自発的にどうしていいかわからない。逃げ出したいと思っている。イスタンブールでは、バーで6席あったらその内の5席ぐらいは「逃げ出したいよね」という会話をしているほどだ。
女優:シレンはこの中でも一番一貫性を持ったキャラクター。シレンのようにイスタンブールから逃れたいと思っている人は沢山いるが、実際にできる人は少ないのでシレンは特別な人。シレンが追い求めているのは、理想や夢。ファンタジーではない。ファンタジーとは違うものだとしている。
監督:街のカフェでタフシンを見知らぬ人が助けてくれるシーンがあるが、イスタンブールがそういう文化か?というと、答えはYESでありNOである。コミュニティ的な感覚は、トルコには残っているがイスタンブールにはあまり残っていない。カフェの人達は、昔の良きイスタンブールを装っている人達。一瞬手助けをしているような雰囲気なのに、次の瞬間に殴られている、そういう感じである。

(2018年洋画)