デンマーク作品。個人的には、北欧は王制を敷いていて、福祉国家だというイメージがある。元々はバイキングの国なのよ、という偏見を覆す程に、穏やかで知的なイメージがある。
だが、「ヒトラーの忘れもの」(この邦題本当に何とかして欲しい)で取り上げられていた、敵国の少年兵への仕打ち、そして本作の施設に入所した少年への仕打ち。…凡そデンマークという国は、少年に優しくない国だと思わざるを得ない。いや逆に言えば、ここまで非道な事を少年に対して行っていたという史実を、作品で明らかにする勇気がある国なのかもしれない。後世が歴史に向き合う作業を怠っていないのであろう。
1960年代後半、人類初の月面着陸がもうすぐにも行われようとしている時であった。エリック(アルバド・ルズベク・リンハート)とエルマー(ハーラル・カイサー・ヘアマン)は兄弟で、働き詰めの母と3人暮らし。貧しい暮らしの中、万引や盗品販売などに手を染めていく。
弟のエルマーは内反足で、上手く歩いたり走ったり出来ない。悪さをして逃げてもすぐに捕まってしまうのは、それが原因だと思っていた。だが、直近の盗みにはちょっと意味があった。望遠鏡…。エルマーは天体が見たい。もっと言えば月が見たいのだ。今に人類は月に降り立つ事が出来る。あり得ない夢物語だとみんなは言うけれど。
そんな日常の中、母が病に倒れてしまう。母の病は重篤であり、入院を余儀なくされた。唯一の肉親である叔父は、所得を持たないいわゆるプー太郎であり、行政は彼には子供達を引き取れないと判断、兄弟2人は、郊外の施設に入所することになる。
この施設のモデルとなったのが、コペンハーゲンにあるゴズハウン少年養育施設である。2000年に実態が明らかになるまで、この施設の悲惨な状況は世に明らかにされていなかった。いや、正確に言うと、この施設に定期的な監査は入っていたのだが、事前告知型の監査であり、内容は予定調和に過ぎなかったのである。
施設に入所した彼ら兄弟には早速過酷な日常が待っていた。厳しい重労働に貧しい食事。職員は皆子供に人権など無いと思っている振る舞い。職員による暴行は日常茶飯事であった。校長のヘック(ラース・ミケルセン)の方針がそうなのだ。そして、時にはその校長自らが、しつけの名の下に恐ろしいほどの暴力を振るう。
屋外での過酷な労働は、内反足の弟には無理なものであった。だが、弟を労働から外して欲しいと懇願する兄の願いも、何の医学的根拠もなく退けられる。弟は過酷な環境が続く中夜尿症を発症し、見せしめの為に酷寒の中、汚したシーツを手に持ち戸外に立たされるという罰を毎朝受ける。その内、子供には異常と思われる精神安定剤のようなものをお抱え医師から処方される。
兄弟が入所して来た頃に新しく着任してきた女教師ハマーショイ(ソフィー・グローベル)は、最初は施設の実態に慣れるよう努力するが、見過ごせない事が多いように感じてもいた。しかし彼女とてサラリーマンで、校長の方針は絶対である。ところが、エルマーが(この施設に入所するような子供達には異色といっていいのだが)読み書きが堪能だということを知ったハマーショイは、彼を所内の郵便係に任命する。過酷な屋外での労働から救ったのである。エルマーは安定を取り戻し、ハマーショイと月についての会話を楽しむまでになった。
更に、年齢が下で内反足のために「ドンくさい」(これは連帯責任を取らされる他の少年達にとっては致命的なことである)エルマーは所内の少年達からのイジメに遭っていたのだが、単に読み書きが堪能なだけでなく豊かな創造性も持ち合わせていたために、ある事を為して立場を変えることに成功する。養育施設には、実は全く身寄りが無い少年というのはあまりいなくて、大抵は事情があって親や親戚から手放された立ち位置であるため、その親や親戚から手紙が来る事がままある。だが、手紙の内容が少年達の期待に沿ったものかというと、そんな事は殆ど無くて、良くて毎回同じの紋切り型(すまないが今忙しくて面会に行けない、など)、悪ければ…。そんな手紙を郵便係のエルマーは、配達した後に読んで聞かせる。何しろ文字が読めない少年には、その「読んでもらう」こと自体が有難いことであるし、その上エルマーは、情のない手紙を素晴らしい文章に変える天才であった。そう、やがてみんながエルマーに手紙を読んでもらう為に列を作って並ぶようになった。文字が読める者も読めない者も。
(このシークエンスは今思い出しても泣けてくる。)
だが、エルマーの立場が少し変わったからといって、悲惨な状況にはあまり変わりがない。過酷な労働、貧しい食事、職員からの暴力…。そしてその暴力の中には小児愛を好む職員からの性的虐待も含まれていた。
絶望的な環境の中、彼らが望むものはただ一つ。15歳になって永久許可証を貰い、外の世界に出ることだ。15歳になれば校長から許可証を貰って自活ができる。ただその日が来るのを目標とし、待ち望み、彼らは黙々と所内のルールに従う。そう、まるで幽霊になったかのように。できるだけ存在を消して。
所内がこんな実態であるにも関わらず、養育施設は定期監査を難なくクリアし、ヘック校長は国王から勲章を授けられるまでになった。校長にとっては花道である。そこに新しく着任して来た監査員が役所から抜き打ちでやって来た。その監査員アンダーセンは、これまでの報告書と全く異なる様相の施設に何か怪しいものを感じたが、その場はしのがれてしまう。
15歳になるまで、と、堪え忍んできた兄のエリックは、やっと15歳の誕生日を迎え、これで永久許可証を貰えると喜び勇んでいたが、ヘック校長は彼に対して、施設に残るよう指示を出す。
絶望と怒りの中、エリックは校長に対して大それた反抗を示す。そして校長はそれに対し、最大限の暴力をエリックに振るう。エリックは昏睡状態となり、お抱え医師からはまともな治療もされず、このままでは生命も危ういという状況になってしまった。
兄を救いたい。エルマーは切望した。せめて外部の病院に診せてやりたい。だが、今の施設の状況では、それは無理な話であった。実は数年前、叔父と共謀して施設を脱け出そうと計画を立てていた兄弟だったのだが、その計画は直前で叔父の裏切り(と間接的にはハマーショイ先生の裏切り)に遭い校長の知るところとなり達成できなかった。その時に校長を始めとした職員達から激しい暴行を受け、以来兄弟は(他の少年達同様に)存在を消すかのように所内で過ごした。兄エリックが15歳になるその時まで、堪えることにしていたのだ。
だが、その15歳の永久許可証の希望も消え、兄は瀕死の状態である。もう一刻の猶予もない。
エルマーは、「将来の職業のために郵便局を見学に行く」という理由をつけて、校長から1日だけ外出許可を得て、コペンハーゲンへ行く。あの例の叔父との脱走騒動の後に、責任を感じて養育施設を辞めてしまったハマーショイに会いに行ったのだ。ハマーショイに頼んで、アンダーセン監査官に会う段取りをつけてもらうために。だが、アンダーセンは出張中で何の成果も得られずに、エルマーは失意の内に施設に戻ることになる。
折しもアポロが月面着陸を達成する夜。特別な計らいで、施設内の少年達は、その中継をテレビで見る機会を与えられる。別室ではヘック校長の勲章授与を祝う会が行われていて、職員は皆そこに参集している。そしてその夜、月面着陸にも匹敵するドラマが施設で起ころうとするのだ。
人類の月面着陸に掛け合わせ、夢と希望に着地する…という結果になることは想像はできたものの、これ程までに「ハッピーエンドで終わって欲しい」と願う作品は近年稀であった。もちろん、真のハッピーエンドというものは、彼らが施設を離れたその後で起こるもののはずだし、それについては未知の領域であるけれど。
エリックとエルマーの兄弟の話自体は、ドラマ性を追求したフィクションに過ぎないのではないかと思う。が、先にも述べたように、コペンハーゲンのゴズハウン少年養育施設で1967年に実際に起こっていた少年への虐待や薬物投与などの問題が、2000年になってから明らかになり、2011年には当時についての再調査が行われ、かつての入所者達が今も裁判で係争中だという。
本作に対する感想の総括であるが、やはり、過去に向き合い自国の恥部を明らかにすることができる、デンマークという国は成熟した国なのだと思う。唾棄すべき行為ではあるものの、一昔前までは子供を労働力に使う事が普通だった事を考えれば、一体何が悪いのか?!というような思いを持っている人がいたかもしれない(違法薬物投与は勿論ダメだけれど)。だが、本来なら福祉の対象である子供達に対して、福祉とは真逆の行為をしたことに対して糾弾するのは当然なのだ。
そしてもう一つ。窮状を救う一助となるものは、知力、教養力だということ。エリックとエルマーの兄弟で見ると、エリックの方がどちらかというとその風貌も手伝って(「中川家」の弟の礼二に似ているように個人的には思っている)、タフでサバイバブルなように見えるが、実際に彼らを救ったのは、弟エルマーの「読み書き」と洞察力…物事を俯瞰で見て判断・行動する能力であった。何も英才教育が必要だと言っている訳ではないが、幼い頃から興味・関心のあることについて学んできた姿勢は必ず活きるのだと痛感。エルマーは貧困の中でそれを為し得ていたのだから、環境を言い訳にすることは決して良いことではないけれど、大人としては知への環境を整えてあげる事が責務なのではないか、と思った。
成熟した社会が産み出した成熟した作品。子役を始めとしてラース・ミケルセン、ソフィー・グローベルの演技も素晴らしかった。心に残る作品であった。
(2017年洋画)