
コンペ作品。クロアチア、デンマーク映画。クロアチア語。監督ハナ・ユシッチ。この作品は第29回東京国際映画祭で、監督賞を受賞した。
主役級の登場人物が全員嫌な性格であるという、稀有なケース。だが、それに対して、引っ掛かりやざらつき感はあるものの、嫌悪感は無い。不思議な感じだ。
横暴な父親と、小狡い母親と、知能の少し足りない兄と暮らすマリヤナ。仕事はラボの検査技師。毎朝父と2人で家を出て通勤する。昼は母が作ったお弁当を兄が届けに来て、役所勤めの父と一緒の場所、湖畔でそれを食べる。何の変化もない日々。

家の中ではいつも小さな諍いが絶えない。そして大抵、父が絶対君主の権力を発動する。ある日は、夕飯の肉が硬いと父が母を咎めた。スーパーで買っただろう?肉屋じゃなくて。母はシラを切るが、父は更に言う。靴底みたいに硬い。そして冷蔵庫の中をチェックして、スーパーのパックを見つける。この嘘つき女が。
諍いの最中、又は父が強権発動を行っている最中、マリヤナはいつも黙っている。というより、マリヤナはいつも食事中は黙っているのだ。女のお喋りを父が嫌うせいもあるが、元々マリヤナは日々の暮らしに投げやりである。父と兄は大して面白くもない会話で笑い合っている。

職場でもマリヤナは誰とも交わらない。同僚が声をかけてきてもつっけんどんだ。カタリナというサボり癖のある同僚がいて、今日も来ていない。もう一人の同僚は、カタリナは病欠だと言う。いやもうカタリナの病気はとっくに治っているはずなのだが。

夜のクロアチアの町。若者がたむろしている。ある若者のグループが、兄に無理矢理スクーターに乗るよう勧める。頭の弱い兄は、何事においても断ることができない。マリヤナはそれを止めるが、若者たちと喧嘩のような形になる。そこへ父がやって来て、2人を連れて帰る。父は兄を叱るが、止めようとしたマリヤナのことも叱る。馬鹿どもの相手をして何になる?そんなに偉ぶりたいのか?
帰宅後すぐの食卓で、手を洗わなかった件で、又しても兄妹は厳しい叱責を受ける。そして今度は兄に矛先が向く。お前、仕事を探したらどうだ?無理だよ、見つかりっこない。本気で探しているのか?マリヤナは分け入って止めようとするが、それが生意気だということで父から叩かれる。強く。3回も。
こんな日常だったが、ある日を境に状況は一変する。いつものように朝通勤をしようとしたら、一緒に歩いていた父親が倒れてしまったのだ。脳出血で、寝たきりになってしまう。

そこからがちょっとびっくりするような、マリヤナにとって厳しい日常となる。何故私がびっくりしたかというと、まず、父の看護は自宅で行うことにしたのだが、母ではなくマリヤナがするのだ。乞われて、というより当然な感じで。父のオムツの変え方を介護士から教わっている時、母は何もせず、教わっているマリヤナを見て言うのだ。判ったフリをすると困るのはあんたよ。
更に、母は夜、マリヤナの部屋にやって来て、狭いベッドに一緒に寝ると言う。母は言う。気味が悪いのよ。あの人の隣で寝ると、墓で寝ているみたい。
だが、それももしかしたら、これまで絶対君主の夫に抑圧されていた妻のささやかな復讐なのかもしれない。母は提案する。マリヤナと兄と3人で海に泳ぎにいかないか、と。夫が泳げなかったから、これまで遠慮して海に行ったことがなかった。寝たきりの父はどうするのだ?とマリヤナが聞くと、近所の人に頼んである、と母は言う。大丈夫、頼んどいたあの人は私に恩があるのよ。

母と兄とマリヤナと、3人で初めての海水浴。いかにも「ヨーロッパの海水浴場」という感じだ。束の間のレジャーだ。心地良い疲れと共に日焼けで顔を赤くして、バスに乗って帰路につく。しかし、家に帰ってみると頼んでいたはずの人は訪問した気配さえなく、父は1日放って置かれていた。身動きできないので何も食べていない。
いつも近所の人たちは、道の脇に置いてある椅子に寄り集まって口さがないお喋りに興じ、他人の家庭のことにも遠慮なく口を出してくるような感じであった。母もその中にいつも加わり、どちらかというと場を仕切っているような感じであった。だが、恐らく本人が思っていた程には彼女は誰からも好かれていなかったのだろう。

再び日常が始まる。自分がこの世で一番と思っている母と、頭の弱い兄と、寝たきりで言葉も喋れない父と。マリヤナは父の世話をするだけでなく、一家の稼ぎ手ともなった。検査技師の給料だけで一家を支えるのは大変なことである。加えて母は、父の目が届かないのをいいことに、「恐竜の形の肉(ナゲットみたいなもの?)」や、その他無駄遣いと思われるものを買ってくる。マリヤナは、無駄遣いしないで、と言うが、そのあげつらい方は元気な頃の父そっくりだった。母さんも働いたら?この前海水浴に行った時に、バス停でアンジェラっていう学生時代の友達に会ったじゃない?あの子は掃除のバイトをしているのよ。母さんも紹介してもらったら?…冗談じゃない!私が掃除するほど暇だと思っているのかい?と、母は嫌味ったらしく言う。こうしてお前の食事を作ったりしているのに。マリヤナは更に兄にも言う。兄さんも働いたら?どうして働かないの?…病気だから無理だと判っているだろう?
そう、兄は本当に知能が低いのだ。ある日、マリヤナが帰宅すると、兄が近所の子供たちを父の部屋に入れて、寝たきりの父に落書きなどのいたずらを一緒にしていたこともあった。ただの小学生の子供と同じだ。ある時はつい習慣で、父の元の職場にランチを持って行ってしまったりする。心根は優しいのだが、頭が足りない。
今の検査技師の給料だけでは足りず、マリヤナは自らアンジェラに紹介してもらって一緒に掃除のバイトを始める。

変わりばえのしない、苦労ばかりの毎日に、マリヤナが納得していた訳ではない。マリヤナとて一人の若い女なのだ。どこかに出かけたいと思うこともある。しかし、母は良い顔をしない。アンジェラに友人の家で行うパーティーに誘われたのだが、行くことに難色を示す。というより、マリヤナは行かない、と決めつけているのだ。夜、家で音楽を聴いてスナック菓子を食べる。「ここは上質な生活よ」と、母は言う。
マリヤナはその「上質な生活」をこっそり抜け出し、パーティーに行くことにした。パーティーの輪の中で、マリヤナの心に浮かんだのは、愉しさだろうか?いや、それとも自分と同世代の女性たちに対する嫉妬心だろうか?…マリヤナは友人の家のバスルームを借りる。バスルームに置いてあった口紅をこっそり借りてつけてみる。置いてあった歯ブラシに唾を垂らす。
輪になって歌い、盛り上がる女友達を後にして、マリヤナは一人夜道を帰る。途中で車の男たちにナンパされる。男たちについて行って、湖のほとりでお酒を飲む。最終的には複数の彼らと交わる。
掃除のバイトをするなんてみっともない。と、母はマリヤナに掃除のバイトを辞めるように言い渡す。それに、マリヤナが夜遅く帰ってくるようになったのも、偉そうな発言が増えたのも、アンジェラというアバズレの友人がそそのかしているのだ、と、母は勝手に思っているみたいだ。しかしマリヤナはそれを無視して再びアンジェラと掃除のバイトに出掛ける。帰りに一杯やることになり、2人で店に入るが、そこで男2人に声をかけられる。アンジェラは乗り気でないのだが、マリヤナは気軽にOKし、4人で相席となる。アンジェラがトイレに行っている間に、マリヤナはその内の1人と濃厚なキスを交わす。トイレから出て来たアンジェラはそれを見て嫌悪を抱き、マリヤナとは絶交しようと決意する。
ここが、「真面目」や「勤勉」、「潔癖」などの意識についての興味深い部分だ。恐らくマリヤナは学生時代、「真面目」に勉強して検査技師の職に就いた。アンジェラは就職できずにバイト暮らしの日々である。勤務についても、マリヤナは職場仲間と交わることはしないが、仕事そのものは「勤勉」にきちんと行っている。掃除のバイトも、アンジェラは適当にサボりながらやるのに対し、マリヤナは手を抜かず、極めて「勤勉」に仕事を行う。しかし、こと男女間のことについてはアンジェラは「潔癖」であり、マリヤナは奔放である。そしてアンジェラが「真面目」でもなく「勤勉」でもないことをマリヤナは特に咎めたりはしないが、マリヤナが「潔癖」でないことに対しアンジェラはそれを許せない。
と、マリヤナは仕事に対しては「真面目」で「勤勉」であったのだが、日々の疲れも重なったのか、ある日仕事で大きなミスを犯す。検体の分析方法を間違えてしまったのだ。その場に誰もいなかったのをいいことに、マリヤナはその検体をカタリナの物と取り替える。そしてそれが原因となってカタリナは職場をクビになってしまう。
だが、マリヤナのピンチはそれだけではなかった。家族で出掛けたアイスクリーム屋で、あれ以来絶交状態のアンジェラと偶然会う。マリヤナの母は、アンジェラがアバズレでそれがマリヤナに悪影響を与えていると信じ込んでいるから、ズケズケとアンジェラに文句を言いに行く。だが、そこでアンジェラに予想外の事を聞かされる。アバズレはアンジェラではなく、自分の娘マリヤナだったことを。
母は怒り狂い、「不潔なケダモノ」と、マリヤナを家から追い出す(この時の私の感想=このまま逃げちゃえばいいのに)。マリヤナは街を彷徨い歩く。ザグレブはどんな所だろうか?と、うっすら思う。一晩中彷徨ったあと、一旦家に戻って荷造りをする。母はそれを見て猫なで声で「どこに行くの?私の可愛い娘」などと今更言う。便利使いができる収入源を失い、寝たきりの夫と頭の弱い息子の面倒を見るなんて真っ平ごめんだからだ。
だが、マリヤナはそれを振り切り、1人ザグレブ行きの長距離バスに乗る。この時の私の感想は、マリヤナがどんなに性格が悪い女だったとしても、頑張れ!やったれ!自立しろ!というものであった。しかし、何故かマリヤナは途中で「降ろして!」と叫び、無理矢理バスを降りて、道の真ん中で号泣する。
ラストは、父がようやく起き上がれる程までに回復し、リハビリの為に通うプールにての画。マリヤナは同じプールで、水中に潜って泳ぐ。潜っているマリヤナはほんの僅かに自由なように見えるが、実際には泳ぐ為には人の間を掻き分ける程までにプールは混雑している。

Q&Aには、監督のハナ・ユシッチと、ヒロインのミア・ペトリチェビッチが登壇。

この作品には自伝的要素はない。と、予め断りがあり、
物語を思いついたきっかけは、自身のホームタウンもあんな町の感じだったということ。町の人々のメンタリティを描きたかった。内向的で無表情ながら、町に抑圧されながらも内なるものがどんどん湧いてくる、そんなマリヤナのような女性を描きたかった。
マリヤナ役のミアとは、キャスティングに悩んでいた時にウィントコシャという場所で出会った。海岸でミアを一目見て、この人がマリヤナだ、と思った。3回ザグレブに呼んでそれで決定した。


水面下に潜るラストシーンだが、あれは一種の諦念である。泳ぐのは、海とプールの2つのシーンがあったが、開放感のある海に対し、閉塞感のあるプールで対比を表している。ラストでマリヤナはいよいよ家族から逃げようと思い、バスに乗るが結局果たせなかった。一種の諦念として家族を受け入れようとする思い。大嫌いな家族。でも自分もその一員である。しかし、マリヤナの立場は微妙に変わってきているのだ。最初は家族に囚われた囚人。でも最後は看守。鍵は自分が持っているのだ。
そしてもう一つ。マリヤナが何故あの時バスを降りて家に帰ったのか。それは育ってきた環境に関係がある。自由や再出発はハリウッド映画で描かれていることに過ぎず、幻影である。田舎町では、家族とは密接な関係がある。3世代が一つのアパートに暮らしていることも珍しくないのだ。だから、マリヤナは帰ってくるのが必然であり、それ以外の選択肢は無いに等しかったのだ。


(2016年に観た洋画)