
「SPEAK LOW」…この曲だったんだ…。全編通して狂おしい程に響いてくるコントラバスの旋律の正体は。
そこに全て繋がる、凄い、素晴らしいラスト。その余韻。
見応えのある濃厚なサスペンスと哀しみの籠ったラブストーリー。

第二次世界大戦終了直後、ユダヤ人収容所生活から永らえたものの、顔に修復のきかないほどの傷を負ったネリー(ニーナ・ホス)は、ユダヤ人活動家のレネ(ニーナ・クンツェンドルフ)に助けられ、ドイツに戻って顔の整形手術を受ける。元の自分の顔に戻して欲しかったネリーだったが、それは叶わず、別人のようになった顔に違和感を持つ。ネリーの傷の回復を待って、テルアビブやパレスチナでのユダヤ人国家設置のために、そういった場所への移住を誘うレネ。ネリーの一族は、あのユダヤ人のホロコーストで全滅し、残ったネリーだけがその財産を受け継ぐことができるので、それらの手続きをレネが行い、ユダヤ人国家設立のための資金とするべくネリーに働きかけているのだ


しかし、ネリーには忘れられない過去があった。夫のジョニー(ロナルド・ツェアフェルト)の事である。彼は生きているのか?死んでいるのか?「消息不明」とだけレネは言うけれど。

レネの資料として残されたわずかな戦前の写真。ドイツ人ユダヤ人関係なく、ゆったりと集って笑っている。しかし、今になって判ったことだが、その中には収容所送りになって亡くなったユダヤ人がいて、ナチがいて、裏切り者がいて…。今となっては鬼籍に入った者も多い。その人の写真の頭上には、十字架のマークが付けられている。
なんとしてでもジョニーを見つけ出したいネリーは、戦後間もない夜の街を探し歩く。ジョニーはピアニストだったので、もしかしたらどこかの酒場でピアノを弾いているかもしれないからだ。そして「Phoenix」(この作品の原題もPhoenix)という酒場で、下働きをしているジョニーを遂に見つけるのだ。
しかし、顔が変わっているネリーの事に、ジョニーは気付かない。そしてネリーに驚くべき計画を持ちかけてきたのだ。

光と影を絶妙に使った「あの時代」の、そしてネリーの心を表す描写。レンブラントの絵画を彷彿させる。幻影の描写なんてほとんど無いのに、ネリーが見た幻影と、自分自身が愛について夢に描いていた幻影とが交錯して、混沌の世界へ私を誘う。もしかしたら、愛は、人を信じる心は全て幻なのかもしれない、と。

そして驚いたことに、いやホントにホントに信じ難いことなのだけれど…。
作品の余韻に浸って自宅に着こうとした時、マンションのエレベーターで私は遭遇した。
「SPEAK LOW」を口笛で吹く小学生の男の子に。
そんな馬鹿な、あり得ない、と思いながら、口笛を吹きつつエレベーターの中に吸い込まれていく男の子を見て、作品の幻影を劇場から連れてきたように思えた。
いや、幻影ではなく妄想なのかもしれないのだが。口笛で奏でているその曲を勝手に「SPEAK LOW」と思い込んでしまっただけなのかもしれない。いや、もしかしたらその男の子の存在さえ幻影だったのか…。

監督は「東ベルリンから来た女」のクリスティアン・ペッツォルト。
(2015年に観た洋画)