
コンペティション作品。
主演のロベルト・ビェンツキェビチは最優秀男優賞を受賞した。まったくもって異存はない。

とにかく物凄い迫力。絶望的な程の臨場感。暗く、暗く、でも、きっとこれがホンモノ。
ポーランドのアル中の話。そう、そうとしか言いようがない。だが、凄い作品だ。ポーランドの現実を織り交ぜており、時間軸を前後に交錯させて、登場人物の心情をよりハードに表している。
ボイテク・スマルゾルフスキ監督はポーランドの監督で、この東京国際映画祭には2回目のコンペ作品出品となる。2009年に「ダークハウス 暗い家」を出品した。

作家のイェジー(ロベルト・ビェンツキェビチ)はアル中だ。何度入院しようと、何度死の淵を覗こうと、何度身内や恋人に誓おうと、次の瞬間には酒瓶に手を伸ばしている。いや、手を伸ばしているなどという生易しいものではない。抱えて、浴びる。浸かる。溺れる。
この作品は、ポーランドのアルコール矯正施設に入退院を繰り返すイェジーの転落に転落を重ねた人生の軌跡を描く。そして、同じようにそこに入退院を繰り返す重度のアルコール依存症の男女の各々の身に起こった出来事も赤裸々に描いて行く。

様々な「アル中達」が集う矯正施設。
彼ら彼女らは、そこに辿り着くまでに、どのような人生を送ってきたのか。それを自分語りするミーティング・シーンは、ハリウッド映画などのアルコホリークス・アノニマスの描写などでよくみかける光景だが、この作品の各々の内容は壮絶で、グロテスクでさえある。彼ら彼女らは、とにかく何としてでも酒を飲む。自分の命を縮めようと、家族・友人を失おうとも。そして、心と体を再起不能になるまで痛めつけ、それでも酒を手に入れようと躍起になる。
それを観ている私達まで、壮絶な過程と、演出と構成による混沌に巻き込まれ、前後左右が不覚になる。

イェジーは独り言つ。飲酒にイデオロギーなんてない。あるのは技術だけだ。飲酒こそが真実だ。
まったくもってその通りだ、と思う。この作品を観ると。
(2014年洋画/東京国際映画祭)