
粗筋の紹介も何もなく、ただ感情の発露としての感想を。
メイジーという幼い少女が両親の離婚によって翻弄される日々を描いた作品であり、あらゆる人が感じるように、メイジーの目線で見た大人の身勝手さにメイジーに愛しさと切なさを感じる。それを否定するものでは全くないんだけれど、私はメイジーの母(ジュリアン・ムーア)の心に寄り添いたい。彼女の生き方、心の叫びが、私を激しく揺さぶる。まるで両肩を掴まれてガクガク揺すられる程に。いやもう、判り過ぎる位に判る。

「仕事(や自己実現)と家庭の両立」や、「冷え切った夫婦仲を清算」などという陳腐な表現では語り尽くせない、彼女の於かれた状況。この作品の中で1番ハートフルに感じたのは、私には彼女だ。

夫の愛人が長年雇っていたベビーシッターだった事(よく相手を殺さなかったものだ)。年下男と再婚するも、彼の事は都合のいい便利屋兼ベビーシッター代わり。いや、もちろん初めからそう目論んでいた訳ではないにしろ、結果そうなってしまった事。レコーディングに賭けるプロとしての妥協のない姿勢。子どもを置いてまでも出掛けなければならないツアー。子どもと仕事とどっちが大事か、という問題ではない。そうせざるを得ない事が人生にはある。一度や二度ではなく。心の痛みを忘れている訳じゃないけど、四六時中思い出しているかと言うと、そうでもない。でもそれは薄情だからではない。

きっとメイジーの両親は、反発し合う同じ極の人間。だから、反対の極の人間の方が本当は相性が合う筈なのだけれど、互いの再婚相手は反対の極であるが故に、どうしても損な役回りとなってしまう。この二人(アレクサンダー・スカルスガルド)(ジョアンナ・バンダーハム)の哀しみも胸にくるものがあったのは確かだけれど。


この監督は、「キッズ・オールライト」のときと同じように、「家族のあり方」を描きたかったのだと思う。ああ、もちろん。ある意味「特別な」家族のあり方。
でも、監督が表現したかった事より何より、私には合わせ鏡のジュリアン・ムーアがMAX切ない。この作品の「家族」は実は全く特別でも何でもない、と、ジュリアン・ムーアによって気づかされるのだ。
(2014年洋画)
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-21806490"
hx-vals='{"url":"https:\/\/tokokonats.exblog.jp\/21806490\/","__csrf_value":"8a59bbfec0f1e87da4b4cb9c0c558f6a8230c979f3fc99e18a2dce38b5c7e22bba2b58ae62c4404f353524aa7f7d55ccba0be0a6ba59c4ed9138b39faa2def60"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">