
3Dである必要はあるの?3Dの意味は?と、見初めは思ったものでした。だって、何だか冒頭の闘いのシーンから、ミニチュアのフィギュアがちょこちょこ動き回っているかのようで。そう、「ナイト・ミュージアム」の展示品のフィギュア達が生命を吹き込まれてちょこまか闘っているような。ダイナミックな雰囲気が全く感じられず、これはちょっと…と思ったものでした。
でも、ラストの砂漠での、そして失われた宮殿での闘いのシーンは、もう、もう!3Dで大正解でしょう!ものすごい迫力と臨場感!目の前に矢が飛んできて、飛び道具が刺さるかのよう。たまーにキラリと光るワイヤーもご愛嬌。絶対に劇場で3Dで観るべし!
ということで、2013年公開の二番手として観たのがこの作品。巷では、ツイ・ハークとジェット・リーの14年ぶりのタッグばかりが取り沙汰されているけれど、いやいやどうして、他の役者陣の殺陣の秀逸さ。ストーリー展開も古典的ながらも、夢と冒険と裏切りとバトルが繰り広げられる壮大なもので、フツーにジェット・リーを知らなくても全然オッケーな作品でした。

少しネタバレをすると、朝廷に取り入って圧政を行っていた東西の督主(東廟と西廟)に敢然と立ち向かう義士のジャオ(ジェット・リー)が、西廟の督主を倒し、宿敵の東廟の督主ユー(チェン・クン)を倒すべく、追い続けているその先に、60年に一度の大砂嵐の日に、失われた都が現れるという砂漠の真ん中で、都の財宝を狙う義賊団(女ボスはグイ・ルンメイ)や、朝廷の皇子の子供を身籠ったためにユーに命を狙われている官女(メイヴィス・ファン)、それを助けて旅の道中を共にする、かつてジャオに想いを寄せていた女剣士(ジョウ・ション)などが入り乱れて、打倒東廟&お宝争奪、の激しい闘いが繰り広げられる、というオハナシ。
中盤から後半の舞台は、昔、国語の教科書で、楼蘭の失われた都の話「さまよえる湖 ロプノール湖」を読んだけど、それを彷彿させる砂漠の舞台設定。
ワイヤー・アクションの迫力もさることながら、砂嵐の様、過ぎ去った後に浮かび来る古の宮殿の描写、などが素晴らしく、ひゅんひゅんと唸りを立てる剣や槍や飛び道具のその音が、耳について離れなくなる位。もはや中国(香港)映画の伝統芸能と言ってもいいワイヤー・アクションは、あの不可思議な感じがデジタル処理をしても尚健在で、汁の滴るステーキをかじったかのような、力強い満足で満たされました。

ただ、この作品には、全編にツイ・ハークの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」や「ドラゴン・イン」(ツイ・ハークプロデュース)のオマージュが満ちていて、そういった点では、あの頃リアルにこれらの武侠映画を体験したことのない人には(私自身がそうなのだけれど)、劇場パンフレットに書かれているような熱い思いにはちょっと引いてしまうかも。あまりにも、ツイ・ハーク×ジェット・リーばかりが強調されても…って、実はチェン・クンの方が滅茶苦茶カッコ良かったりするので(あくまでも私見ですが(笑))。
いや、ホント、チェン・クンはすごーくカッコ良かった!ユー役と、お茶らけた旅人の1人2役を演じるのだけれど、ユーの時にはあくまで冷徹に、その冷たい眼差しにゾクゾク!でもって、コメディタッチの役どころも見事にこなし、久々に熱烈!な気持ちになりました。
そう、伝統芸能のワイヤー・アクションの武侠もの。まあ、何年かに一回は観て損はないですな。
ところで、勉強不足なのですが、こういう風に砂漠の、或いは荒野のど真ん中にぽつんとある宿屋で荒くれ者どもが狡猾に戦うのって、中国の史実にでもあるのでしょうか?結構こういう設定が中国映画には多いように思うのですが。
(2013年アジア映画)
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