
ガザ停戦記念。今日、ガザ停戦が宣言された。「もうひとりの息子」は、イスラエルに住むユダヤ人家族とイスラエルに住むパレスチナ人家族との、衝撃的な運命を乗り越えて交流が深まる物語。一筋の希望の光が見えてくるような展開は、今日の日の停戦の事実と無縁ではないはず。
第25回東京国際映画祭コンペティション部門サクラグランプリ受賞作品。サクラグランプリも、やっと昨年あたりから、納得できる作品が選ばれてきたと思う。それまでは、ぶっちゃけ何故この作品が?と疑問に思うような作品がグランプリを獲ることが多かったから。ただ、ある意味当たり障りのないヒューマン系の作品が選ばれていることには変わりはないけれど。

イスラエルに住むユダヤ人の青年が、兵役検査を受けた時に、血液型によって自分が両親の本当の息子でないことが判る。あの空爆の日、混乱の中の産院で、別の赤ん坊と取り違えられていたのだ。病院も非を認め、取り違えられた相手の両親同士が対面をする。相手はイスラエルに住むパレスチナ人一家であった。
やがて彼らは家族同士で顔合わせをするが、苦悩する両親の心情は言うに及ばず、青年二人も自己のアイデンティティの喪失に葛藤する。ただでさえ大きな問題である取り違え事件なのに、そこに民族や宗教の問題が関わってきて、衝撃の度合いは計り知れない。特に、割礼や洗礼を済ませてユダヤ教徒として生きてきた青年が、ユダヤのラビから信徒と認められない、と宣告される所、優秀な成績でパリの医大に進学するパレスチナの青年が、イスラエルをわが手に!と燃える兄から、裏切者扱いされる所、誰が、とか、何が、とか、どう、とかではなく、生まれ持っているはずのものを否定されるその喪失感は、いかばかりなものであろうか。
しかし、それぞれの母親の深い愛情、青年から大人へと独り立ちしていく年頃の、それぞれが固く踏み出したその足取り、などから、彼らは互いに交流を深めていく。自分は何者で、これからどう生きて行ったらいいのか?といった逡巡はもちろんあるにせよ、それは、きっとそれらを乗り越えて進んでいくのでは、と予感させる爽やかな痛みなのである。

昔、産院での取り違え事件がニュースになった時、普段感情的にならない私の母が、「むごいことだ…!」と繰り返し言っていたのが今でも心に残っている。つまり、これまで育てた子供のことは当然命に代えてもいいほどいとおしい存在であるのに、実は本当に血が繋がった子供が別の場所に生きているということ…本当の子供に会いたい気持ちになるのではないか?でも、それは今育てている子供に対する裏切りではないのか?同様の感情を当の子供も持つのではないのか?…産みの親には会いたいに決まっている。どんな人なのだろう?そして自分の人生は本当はどうなっていたのだろう…?そういうことを考えること自体が裏切りなのではないのだろうか?
でも、今の私は断言できる。息子は息子。私が育てた息子が唯一無二。彼がどこから来たのか、なんて私には関係ない。あの日、出会ってからずっとずっと、私は彼の虜なのだから。
こういった私の確信はどうあれ、この作品は、異なった民族と異なった宗教、異なった価値観を乗り越えて行く可能性を示唆した、愛と慈しみと希望の物語なのである。
(2012年洋画/東京国際映画祭)
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