
「昔ちょっとヤンチャやっててさ…」という御仁は掃いて捨てる程いるけど、みんなそこそこでたいしたことなくて、その後の人生も何事もなく普通に生きているのが相場。
で、この「莫逆家族」に出て来る、昔ヤンチャやってた人々は、本物のヤンチャか、といえばう~んな所もあるけど、武勇伝的なもの以上の何かは確かにあった時代と所属で、でも結局は何物になることもなく、底辺やそれに近い生活を送る事に。ヤンチャを本筋の生業としなかった人々の現実的な末路というか。
作品中、何度も「俺達は家族だ」という台詞が出て来るのだけれど、任侠の世界で言う、義兄弟、親の血を引く兄弟よりも…というのと同じ。所属が違って悪さも違う、昔の任侠道とは違う人々が使う単語として家族=ファミーリアが出て来たに過ぎない。その家族、にしても、何故彼らが家族を感じるようになったのかが、今ひとつ響いて来ない。原作読めば判るのかな?映画は短時間に詰め込み過ぎ?

北関東のある場所で、暴走と抗争に明け暮れる集団がいくつか跋扈していた。彼らは争いを繰り広げ、しかしその内連帯感のようなものが生まれ、「ドンばー」と呼ばれる世話焼き女が行き場のない少年達の面倒を見るその場所を心の根城にしながら、共に生きて行くようになった。
だが、絶対権力を振るっていた総長の弟の事故死に関わったとされ、仲間の内の一人は総長に殺された。総長の手下がその罪を被る事もなく、総長は逮捕され、やがて神叉という名のその集団は自然消滅、仲間はそれぞれの人生を歩み、やがて大人になって行く。
彼らが30代半ばになった頃、彼らの内の一人の愛娘が激しい暴行を受け、瀕死の重傷を負う。それはあの頃の意趣返しであると判り、仲間は再集結して、怒涛のように最終決戦になだれ込んで行く…。

義兄弟感覚にしても、親の因果が子に報い…的な話しの根底を流れる応報にしても、やはりこれはひとつの任侠映画なのだな、と思う。
その中で、チュートリアル徳井はすごく頑張っていたと思う。村上淳も。村上淳の狂気なんか、中盤と後半のあまりの変貌に、同一人物の役柄とは思えなかった位だもの(笑)。阿部サダヲもいい味出してました。
又、日立や土浦のロケ地が超GOOD!!雰囲気あったし、「世代」としては通じるものがある!
しかし、正規料金を払って観るべきものだったか、というと……かな。
(2012年邦画)
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