
ライアン・フィリップ繋がりで鑑賞。いや、元々観たい作品でした。“未体験ゾーンの映画たち2012”がヒューマントラストシネマ渋谷で開催されていた時の上映作品です。
元々、「キリング・ショット」でイイ味出してたマリン・アッカーマンって、他にどんな作品に出てるの?と探したのがきっかけで、やだ!「バンバンクラブ」ってライアン・フィリップが出てるじゃん!と、一気に加速した鑑賞欲求。
事実を基にした作品。アパルトヘイト廃止に向かって揺れていた、1990年代の南アフリカ。ANC(アフリカ民族会議)と呼ばれる政府…ネルソン・マンデラ側と、インカタと呼ばれるズルー人を中心とした「民族解放文化会議」は対立し、複雑な民族間の対立も影響して、血で血を洗う民族間の戦いが続いていた。そんな紛争地帯に、いわゆる「戦場カメラマン」として、4人の男達が集い、悲惨な光景にシャッターを切り続けた。命知らずの彼らの集団は「バンバンクラブ」と呼ばれていた。生き残った2人のカメラマン、グレッグ・マリノビッチ(ライアン・フィリップ)とジョアオ・シルバ(ニールス・ファン・ヤーレスヴェルト)が発表したノンフィクション小説を基に描かれている。

何故彼らは戦場でシャッターを切り続けるのか?
身の危険も顧みず、いや、むしろ自ら危険の渦中に身を晒し、
彼らが求めているものは、彼らが伝えたいものは、一体何なのか?
「バンバンクラブ」の一員で、ピューリッツァ賞を獲得したケビン・カーター(テイラー・キッチュ)。彼の受賞作品「ハゲワシと少女」は賛否両論の作品であった。スーダンで飢餓に苦しみ、絶望的な表情で膝を折り曲げてうずくまる一人の黒人少女。彼女の体力が尽きるのを待ちかねているかのように、背後で貪欲に身構える一羽のハゲワシ。そのショットは、どんなに沢山の言葉よりも、今、飢餓に苦しむスーダンの辛苦を如実に伝えている1枚であった。しかし、カメラマンは、悲惨さむごさを伝えるだけでなく、シャッターを切った後に少女を助けることができたのではないか?カメラマンとはただの傍観者なのか?それでいいものなのか?という批判も又相次いだ。
それが原因ではないにしろ、戦場をタフに駆け抜けていくにはあまりにも繊細な心根を持ったケビンは、やがて自殺を図る…。

そう、何故「戦場カメラマン」という職を選び、何を伝えたく、何を一枚のフィルター越しに切り取っていくのか?…常に死と隣り合わせの彼らの実録(に基づいた映像)を観て、画面に向かって問いかけたくなる。勿論、必ず全世界に伝えなければならない何か、を撮っているのだ、ということなのだろうけれど、もっと何か、ある種の運動神経みたいなものが彼らを駆り立てているのではないか?と、そんな気がする。
そこに撮るべきものがあり、伝えるべきものがある。それが戦場という場所なのだ、と。
(2012年洋画)