人生は美しさで満ちている
だけど、時々、何かが変だ…
というコピーがポスターやちらしで流れるまま、いや、そりゃそうだよ、「時々」でも「何かが」でもなく、あんたすっごく変だよ…!と突っ込みたくなる気持ちでいっぱいになる。
シリアスでシュールでおしゃれな展開にしたいのか、突っ込みどころアリアリのコメディ調にしたかったのか、その判別もできず、全てが中途半端なような気がする。
ショーン・ペンだから。業界の暴れん坊だけど、稀代の演技者だから。フランシス・マクドーマンドが妻役だもの。いい味出すに決まってる。とか何とかの、おしゃれ心を満たす言い訳も…。ボノの娘が出演よ、デビット・バーンが作中でマジで歌うのよ、と、ある一定の年齢以上の“ゲージツ好き”には堪えられないラインナップも…。
なんとなーく、中途半端な気がしてならない。まあ、そのぼやっとした感じ、無理やり意味を突き詰めない緩さがいいっちゃいいんだけど。
「ひきこもりのかつてのロックスター」…と、あらゆるこの作品の紹介文で「ひきこもり」と紹介される偉大なロックスター・シャイアン(ショーン・ペン)。でも、私に言わせれば、ロック界でビッグに大成功して億万長者になったために、働く必要性や意欲をまったく持たずに悠々自適な生活を送るシャイアン、な訳だけど。彼の父親がなくなり、本当に何十年ぶりで故郷に帰ったシャイアンは、父親の軌跡を追う内に、自分を理解してくれる妻(フランシス・マクドーマンド)や、音楽好きの少女(イヴ・ヒューソン=ボノの娘)とゆったりと交流していればいい、(他人には不可思議に見えるかもしれないけれど)あのこれまでの穏やかな日々とは別の、様々なイラつきや、自分自身をも克服しなければならないある種の苦境、と戦いつつ旅を続ける立場に立たされる。
父親の思いを遂げるための旅、イコール、自分探しの旅、…というありきたりな設定なのだが、さすがにイタリア人監督パオロ・ソレンティーノの映像の美しさ、不安やいらつきをある種可愛く、リアルに描き出す演出と演技力は、見ごたえがある。
強迫観念にも似た、執念。父も子も、等しく似たもの親子として。この執念が根底に脈々と流れ行く旅路。
いつか執念を忘却の彼方に追いやることができるのだろうか。誰かに脈々と引き継がなくても済む日が来るのだろうか。
そして、そこが、自分が、誰かが「帰る場所」になり得るのだろうか…。
と、私は自分の中では、コメディ要素を押さえて少しだけシリアスな作品、という位置付けで観終わった。
追記:音楽芸術、芝居芸術、映像芸術、が、全て融合して、ぴたっとはまった作品って珍しいよね?関わる人が第一人者であればある程。
演出・映像・役者・音楽、の全ての芸術がガチで合わさった作品、といえば、「ヘドヴィクアンドアングリーインチ」位かなぁ…。
難しいよね、やっぱり。この「きっと ここが帰る場所」も、ぶつ切り感がどうしても出てきてしまう。みんなみんな、個性が強過ぎて。
と、思ったのでした。
(2012年洋画)