「ミヒャエル」この作品はコンペティションではなく、招待作品です。カンヌではコンペティションに出品していました。オーストリアの作品。
小児性愛者のミヒャエルは、一見ごく普通の男で、ごく普通の生活を、規則正しく静かに送っていました。自宅の地下室に男の子を監禁していることを除いては。男の子は町で誘拐した少年。彼には外出の自由はなく、勉強や遊びもミヒャエルの好みのものしか許されず、ミヒャエルの顔色をうかがいながら生活をしています。
この「一見普通な」ミヒャエル(禿げてるけど)の空恐ろしさ。規則正しい生活を送り、妥協は許さない。淡々とした描写の中で、ゴーカートカーレースの遊技場で少年を物色するあたりは、あまりの恐ろしさにすくみます。
どうにかして、少年よ、発見されてくれ、と観客としては願うものの、まるで完全犯罪かのように、近隣にも誰にも知られずにミヒャエルと少年の生活は続きます。怪しむ隣人もいるにはいるのですが、頑なに近所付き合いを拒否して実態はつまびらかにされず…。そして、あっけない位の衝撃的なエンディング。車での事故でミヒャエルは死亡し、遺品整理に訪れた母親の手によって、地下室の存在が発見されるのです。
とても引き込まれる作品でした。淡々とした中での異常性の発露。そこが逆にとても不気味で焦燥感溢れる作品。非常にヨーロッパ的な、流れの美しい作品。ただ、なんだか実際にこういうことがあるような気がしてならないのが辛いです。
(2011年洋画/東京国際映画祭)